山町筋の散策を終えたボクは、ランチを食べようと思って、駅に向かって歩いてみたんだ。何となく歩いていたら、高岡大仏に巡り合ったよ。

←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね
。
入り口の看板には「日本三大佛 高岡大佛」の文字。三大仏像といえば、一に奈良の大仏、二に鎌倉の大仏、っていうのは誰もが納得するところだけど、三番目はどれといわれると、諸説があるんだって。
江戸時代は、京都の方広寺にあった大仏が三尊目に数えられていたのだとか。方広寺とは、そもそも豊臣秀吉が大仏を安置するために建てた寺で、子の秀頼が奉納した鐘に刻まれた銘の中に「国家安康」の文字があったことが、大阪の冬の陣の引き金となったことでも知られているよね。
方広寺の大仏は、高さが19mもあったといわれ、奈良の大仏よりも高さがあったというから、当時は日本一の大きさがあったんだ。でも、江戸時代の中ごろには焼失してしまい、その後再建された大仏は、上半身しか作られず高さも低くなったことから、三大仏には数えられなくなったというよ。その大仏も、昭和48(1973)年に火事で焼けて、なくなってしまったんだって。
もし、今でも残っていたなら、方広寺の大仏も、由緒正しき日本の遺産となっていたことだろう。

戦前には、兵庫大仏という大きな大仏があって、第3の大仏として知られていたみたいだけど、第2次世界大戦中に供出されて、なくなってしまったんだとか。
一方、昭和8(1933)年高岡銅器の職人の技を集めて建立された高岡大仏は、供出の危機を乗り越え、生き残ることができたよ。今では、高岡市民の宝、富山県民の宝として大切にされているってわけ。この慈愛に満ちた表情は、日本三大仏の一角を担うにふさわしいよね。

木造の岐阜大仏とか、平成に再建された兵庫大仏とか、昭和52(1977)年に建立された東京大仏とか、第3を名乗る大仏はけっこうあるみたいだけど、歴史と伝統文化の集約という観点では高岡大仏に勝るものはないのだ
。

←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね
。入り口の看板には「日本三大佛 高岡大佛」の文字。三大仏像といえば、一に奈良の大仏、二に鎌倉の大仏、っていうのは誰もが納得するところだけど、三番目はどれといわれると、諸説があるんだって。
江戸時代は、京都の方広寺にあった大仏が三尊目に数えられていたのだとか。方広寺とは、そもそも豊臣秀吉が大仏を安置するために建てた寺で、子の秀頼が奉納した鐘に刻まれた銘の中に「国家安康」の文字があったことが、大阪の冬の陣の引き金となったことでも知られているよね。
方広寺の大仏は、高さが19mもあったといわれ、奈良の大仏よりも高さがあったというから、当時は日本一の大きさがあったんだ。でも、江戸時代の中ごろには焼失してしまい、その後再建された大仏は、上半身しか作られず高さも低くなったことから、三大仏には数えられなくなったというよ。その大仏も、昭和48(1973)年に火事で焼けて、なくなってしまったんだって。
もし、今でも残っていたなら、方広寺の大仏も、由緒正しき日本の遺産となっていたことだろう。

戦前には、兵庫大仏という大きな大仏があって、第3の大仏として知られていたみたいだけど、第2次世界大戦中に供出されて、なくなってしまったんだとか。
一方、昭和8(1933)年高岡銅器の職人の技を集めて建立された高岡大仏は、供出の危機を乗り越え、生き残ることができたよ。今では、高岡市民の宝、富山県民の宝として大切にされているってわけ。この慈愛に満ちた表情は、日本三大仏の一角を担うにふさわしいよね。

木造の岐阜大仏とか、平成に再建された兵庫大仏とか、昭和52(1977)年に建立された東京大仏とか、第3を名乗る大仏はけっこうあるみたいだけど、歴史と伝統文化の集約という観点では高岡大仏に勝るものはないのだ
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