富山で飲み食い・おぼえ書きブログ

富山で見つけたおいしいお店やこじゃれたお店を書いていく、富山なグルメのブログなんだ。どこへ行ったか忘れてしまわないようにね。 わたしの好みだから、「それはちがう」とか言わないでいただきたい。 ときには、旅した記録も、書き残すことにするよ。

タグ:観光スポット

 前々から一度は訪れてみたかったのが「入善町下山芸術の森発電所美術館」。もと水力発電所だった建物を美術館にしているっていうから、それだけでもとても素敵だと予想できるではないか。

 今は、吉野祥太郎というアーティストの個展「Mythology−土地の記憶−」を3月16日(日)まで開催中だよ。美術館のフロア全体を使って、2つの作品が展示されているんだ。

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88_31←富山のことをもっと知りたい人はここをタップするがよい

 かつて水力発電所だった場所の記憶を、天井からの光とミラーフィルムで反射した光で表現していて、独特の空間美が何とも素敵だったよ。いやはや、全くもって素晴らしい。

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 光は時々色を変え、時間を飛び越えていくような気分になるんだ。

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 2階部分には、もう一つの作品。壁があるわけではなくて、2階部分からは、最初の作品が見下ろせるんだ。光と反射で動的な最初の作品に比べて、2階の作品は、静止して完結しているような印象。

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 この美術館、入善町のWebサイトには、こんな注意書きがあるんだよね。面白いから、そのまま引用しちゃおう。曰く・・・、

旅行会社等へのお願い(注意事項)

 当館内部は、ゆっくり歩いても5分程で回ることができる小さな美術館です。展示している作品も、とかく「わかりづらい」と評されることの多い現代美術の作品が中心です。なので現代美術に関心・興味のあまりない方ですとご満足いただけず、5分〜10分程でお帰りになる場合がほとんどです。
 ツアー行程では滞在時間を30分〜1時間と設定されることが多いようですが、とてもその時間は滞在できないと思われます。
 また、施設内の設備(トイレ等)や作品保護のための監視体制(監視スタッフの手配)などの理由から、常時、一度に10人以上の方を受け入れる環境・体制ではありません。
(もちろん、ガイド等もしておりません)

 旅行会社等のツアー行程に組みたいというお問い合わせを受けることがありますが、上記の理由からご予約は受けておりません。


 ね、いいでしょ。ツアーで来ても作品はわかりづらいし、長居はできないよ、って自分でいうとはいさぎよい(笑)。人数制限してるし、トイレのなどの設備も不十分と受け取れる念の入れようなんだけど、この文には、さらに続きがあってね・・・、


 上記をご理解のうえご来館いただくのは結構ですが、10名以上の場合は複数グループに分かれての入館となること、お酒を飲まれていると判断される方の入館はお断りすること、美術館側が提示する注意事項を守らず作品等に危害を加えた場合は旅行会社に対して損害賠償請求することになりますことをご了承のうえご来館くださいますようお願い申し上げます。



 ここまで書かれちゃったら、来ても文句は言えないだろうし、そもそも、旅行会社なら二の足を踏んじゃうよね。

 美術館が観客を選ぶだなんて、何とも素敵ではないか。逆に、現代美術や発電所建築が好きな人には、たまらない空間なんだよね。ボクもそんな人の一人なんだけど、とはいえそんなボクでも、滞在時間は30分もなかったんだけど(苦笑)。
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 それは、昨日のお話。うららかな春の陽気に誘われて、これはどこかに行かねば、と思ったんだよね。まだ、桜だって咲いてる時期だし。

 かくして、北陸新幹線に乗り込んで、終点の敦賀まで行ってみることにしたよ。金沢より西に行くのは、実に久しぶり。そして、3月に開通した区間に初めて乗車してみたんだ。

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88_31←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね

 車両は同じだけど、車窓からの眺めは、北陸本線時代とは、きっとかなり違って見えることだろう。

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 桜のピンクが入り混じって、とても鮮やかな風景が各所に見られたよ。

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 かくして、敦賀に到着。『はくたか』と『つるぎ』を乗り継いで、1時間20分余りの旅だったんだ。速〜い。

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 終点なんだから、全員が下りるよね。JR特急に乗り継ぎしやすいように、下りエスカレーターがたくさん設けてあったよ。2列になっていて、両方が下りになっているから素晴らしい。

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 敦賀駅は、実に広大で、まるで空港を思わせるようなコンコースの広がり。当分の間、この敦賀駅が拠点になるからか、かなり気合を入れて作りました、といった印象の仕上がりだったよ。

 とはいえ、改札まで距離があるし、JR特急への乗り継ぎホームへはさらに距離があるしで、移動が大変だっていうのは、評判の通りだと思ったな。

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 新幹線駅は、かなりの高さ。なにしろホームがビルの6、7階の高さにあるのだから、まるでSFに出てくる空中ステーションだよね。大都市と地方都市を結ぶ空中鉄道を降りると、周辺へとつながる地方鉄道に乗り換える、そんなシーンが現実として存在していることに、恐れ入るばかりなんだ。

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 新幹線駅から、敦賀駅の改札へと抜ける通路もかなりの長さだったよ。にぎやかな中心街のある西口に抜けるには、旧北陸本線(現ハピラインふくい)の線路を越えていかなきゃならないからね。

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 新幹線を降りてから5分以上歩いて、ようやく改札にたどり着いたのだった。

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 敦賀駅の前には、昔ながらの駅前商店街が残っていて、とてもレトロな雰囲気だったよ。これは、素敵な空間。

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 陽気のせいもあるのかもしれないけど、敦賀の街はけっこう活気にあふれていたな。道路がかなり広くつくられていて、中心商店街の通りには、車の駐車スペースが設けられていたよ。面白い造りだと思ったな。

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 なぜか松本零士のアニメ「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメントが、設置されていて、道行く人を楽しませていたよ。たまたまバスを降りた停留所の近くには『アナライザー』。

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 この辺りは、氣比神宮という敦賀のシンボル的神社の近く。ここから歩いて、海沿いの金ケ崎界隈へと向かったんだ。海沿いに並ぶ倉庫群に出会ったよ。 

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 帆をかたどった北前船モニュメント。

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 この界隈の桜は散り初めといった感じ。

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 それは、第2次世界大戦が起こる前の話。欧亜国際特急列車が、東京とパリの間をシベリア鉄道を経由して走っていて、この敦賀の地を通ってウラジオストクと結んでいたんだって。東京パリ間の国際特急!何たるカッコよい響きなんだろ。

 敦賀は、ロシアに向けての表玄関の役割を果たしていて、この界隈の商人も、下駄履きでふらっと連絡船に乗って商売に行ったりしてたんだっていうよ。この建物は、その起点になった国鉄敦賀港駅を再現したものなんだって。

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 中では、敦賀の鉄道の歴史を紹介していたよ。

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 2階では、国際特急の時刻表といった資料も展示されていたよ。

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 建築物としても素敵な駅舎だったな。

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 金ケ崎緑地は、敦賀市民の憩いの場。

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 休憩所も素敵な建物だったよ。

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 その先にあったのが、「人道の港 敦賀ムゼウム」という施設。どこが経営しているんだろ、と思ってしまうほど、受付のお姉さんが、とっても素敵なユニフォームを着ていたんだ。設備も行き届いていて、なかなか立派な博物館だったよ。

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 ここで紹介されているのは、1920年代に受け入れたポーランド孤児と1940年代に受け入れたユダヤ難民の歴史。ユダヤ難民というのは、当時リトアニアにいた日本人外交官杉原千畝(ちうね)が発給したビザのおかげで命を救われた人々の話だよ。

 そういう事実があったことは知っていたけど、リトアニアでビザを手に入れたユダヤの人々が、シベリア鉄道に乗ってウラジオストクから敦賀へと渡ってきた、ってことは、ここで初めて知ったんだ。敦賀の地は、歴史の中で大きな役割を果たしていたんだね。

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 こちらは、近くの赤レンガ倉庫。

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 中には、レストランがあったり、敦賀の街を紹介するジオラマの展示があったりしていたよ。

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 おお、バス停のベンチに、恐竜博士を発見。こんなところで再会しようとは。

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 ここから、さらに歩いて5分余りでたどり着いたのが、「金崎宮(かねがさきぐう)」。戦国時代の激戦地、金ケ崎城の跡としてもして知られている景勝地だよ。こちらは、桜に包まれた参道。

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 織田信長が朝倉氏を攻めようとして近くまでやって来たとき、もたらされたのが浅井氏裏切りの知らせ。朝倉氏と浅井氏の挟み撃ちにあった信長は総退却を行ったんだけど、その時、この金ヶ崎城に残ってしんがりを務めたのが、当時木下藤吉郎と称していた豊臣秀吉、っていうのが知られた歴史だよね。

 藤吉郎の命がけの活躍で窮地を脱した信長は、その2か月後、姉川の戦いで、浅井・朝倉の連合軍を破ったのだった。

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 今は、そんな血なまぐさい歴史を感じさせることもなく、桜の花が咲き誇る、癒しの空間になっているんだ。

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 金崎宮は、縁結びの神様として知られているんだね。

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 「恋の宮 金崎宮」なんだって

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 参道を登り切ったところからは、敦賀の街が一望できるんだ。ここから見ても、新幹線駅はでかくて高いよねぇ。

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 この日は、御朱印もいただいたよ。

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 かくして市内の散策を終えたボクは、再び、敦賀駅へと戻ってきたよ。新幹線の開業に合わせて、敦賀駅の周辺には再開発されたエリアもあるんだ。そこで、素敵な書店を発見したんだよね。「ちえなみき」という名の、公設の書店なんだって。行政が営業している書店とは珍しい。

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 この書店、中のディスプレイがとても素敵なんだよね。書棚も上から見下ろしても楽しめるようになっていて、なかなかのハイセンス。

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 敦賀は、何とも楽しくて素敵な街だったな。

 帰路は『かがやき』で富山へと向かったよ。所要時間は1時間。敦賀と富山の間がたったの1時間とは、素晴らしき時代になったものだ。
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 昨日は見事に晴れ渡った空がとても気持ちの良い日だったね。富山の地では、「第70回全日本チンドンコンクール」が行われていたんだ。

 上本町のリーガルに行こうと思って西町の交差点を通りかかったら、ちょうどパレードが始まるタイミングだったから、眺めてみることにしたよ。美しい立山を背景に、堂々の行進。実にたくさんの人がいて、にぎやかなのがうれしかったね。

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 先頭を行くのは、県警音楽隊。

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 続いてチンドンマンの皆さんが、演技しながら次々とやって来たんだ。

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 大和の前の環状線電停には、チンドンコンクールラッピングの電車が停められていて、ここまで来たらパレードは終了。このイベントが終わると、富山には本格的な春の訪れなのだ。

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 山町筋の散策を終えたボクは、ランチを食べようと思って、駅に向かって歩いてみたんだ。何となく歩いていたら、高岡大仏に巡り合ったよ。

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 入り口の看板には「日本三大佛 高岡大佛」の文字。三大仏像といえば、一に奈良の大仏、二に鎌倉の大仏、っていうのは誰もが納得するところだけど、三番目はどれといわれると、諸説があるんだって。


 江戸時代は、京都の方広寺にあった大仏が三尊目に数えられていたのだとか。方広寺とは、そもそも豊臣秀吉が大仏を安置するために建てた寺で、子の秀頼が奉納した鐘に刻まれた銘の中に「国家安康」の文字があったことが、大阪の冬の陣の引き金となったことでも知られているよね。

 方広寺の大仏は、高さが19mもあったといわれ、奈良の大仏よりも高さがあったというから、当時は日本一の大きさがあったんだ。でも、江戸時代の中ごろには焼失してしまい、その後再建された大仏は、上半身しか作られず高さも低くなったことから、三大仏には数えられなくなったというよ。その大仏も、昭和48(1973)年に火事で焼けて、なくなってしまったんだって。

 もし、今でも残っていたなら、方広寺の大仏も、由緒正しき日本の遺産となっていたことだろう。

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 戦前には、兵庫大仏という大きな大仏があって、第3の大仏として知られていたみたいだけど、第2次世界大戦中に供出されて、なくなってしまったんだとか。

 一方、昭和8(1933)年高岡銅器の職人の技を集めて建立された高岡大仏は、供出の危機を乗り越え、生き残ることができたよ。今では、高岡市民の宝、富山県民の宝として大切にされているってわけ。この慈愛に満ちた表情は、日本三大仏の一角を担うにふさわしいよね。

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 木造の岐阜大仏とか、平成に再建された兵庫大仏とか、昭和52(1977)年に建立された東京大仏とか、第3を名乗る大仏はけっこうあるみたいだけど、歴史と伝統文化の集約という観点では高岡大仏に勝るものはないのだ
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 高岡の老舗和菓子店「大野屋」のある交差点から、東に向かって少し歩くと目に入るのが「山町ヴァレー」。山町筋の一つ、小馬出町(こんまだしまち)にあった昔の商家を、リノベーションしてオープンした複合商業施設だよ。

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 表の建物を通り過ぎれば、奥には、ゆったりした中庭があるんだ。それに面して蔵がいくつもあって、ネイル屋さん、タイ古式マッサージ屋さんといったテナントが入っているんだ。

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 こちらは、表の建物の中。昭和初期風の造りで、何ともレトロな、それでいてモダンな空間なんだ。

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 かつて使われていただろう棚がそのまま残されていて、それが、渋めのインテリアになっているんだ。タチカワペンの看板が、とってもいい感じ。

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 中庭は、とても開放的な雰囲気が、すごくいい感じなんだよね。天気のいい日には、この椅子に腰かけてのんびりしたいものだ。

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 こちらは、ペレットストーブ屋さんの蔵。モデルルームみたいになっていて、こんな空間で暮らしてみたいと思ったよ。

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 クラフトビールが飲めるテナントもあったけど、この日は、ランチタイムが終了していて入れなかったのが残念だったのだ。
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 木屋町界隈を歩いていたら、高岡を代表する老舗和菓子店「大野屋」の本店を見つけたよ。子供の頃見た「とこなついただいたの」っていうCMを思い出して、吸い込まれるようにお店に入ってしまったんだ。

 購入したのはもちろん『とこなつ』。明治時代から綿々とつくられている、この店の看板商品だよ。

 すごくきめ細かな厩肥に包まれた白あんは、大部分はこしあんのようにしっとり仕上げてあるんだけど、ときどきつぶがそのまま残されていて、その食感がいい感じ。外にまぶしてあるのは和三盆糖。その甘さとあとに残る香りが、とても上品で素敵な和菓子なんだ。

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 ボク一人で半分以上食べてしまった『とこなつ』。もっと買って来ればよかったけど、翌日にはもう硬くなり始めていたから、食べたいときに食べたいだけ買ってくるのが正しい和菓子なのだと思ったよ。

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 高岡の町は加賀藩配下だったせいか、上品な和菓子をつくってるお店がいくつもあって、歴史と文化を感じる味わいを楽しませてくれるんだよね。大野屋だって、開業は天保年間っていうから、かれこれ190年。

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 建物は、木屋町の中心角にあって、明治の面影を残す渋い造り。190年前から彼の地で営業する、ずーっと高岡の歴史を見守っていたお店なんだ。

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 高岡で祭りといえば「御車山(みくるまやま)祭」。毎年、5月1日に行われる、高岡中心街の山町筋の各町が大きな山車を引きまわる祭りだよ。この日、高岡の街歩きをしていたボクは、守山町にある、この山車を展示した博物館「高岡御車山会館」に、寄り道してみたんだ。

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 この御車山は、国重要文化財に指定されているんだ。豊臣秀吉が使用した御所車を前田利家が譲り受けたものと伝えられているんだって。

 加賀藩2代目藩主の前田利長が、高岡の町を開町したときに町民に与え、それ以来、山町筋と呼ばれる10カ町が代々受け継いできたんだって。ざっくり400年も前からある山車だってことだね。すごーい。

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 上にのっている鳳凰の見事なこと。車輪一つとっても、丁寧な彫刻と金細工に高い技術が必要なことは言うまでもないよね。この豪華絢爛たる御車山があるおかげで、高岡の伝統工芸は維持されてきたのかもしれないね。

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 これは、木舟町の御車山に乗っていた昔の鉾留「胡蝶」。今のとは、同型、同サイズというけど、実に大きく素晴らしき逸品だね。蝶をリアルに大きく再現すると、モスラに見えてしまうのは、ボクだけではないはず

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 こちらは、上から見たところ。山車は、新湊でも城端でも高山でも見たことがあるけど、御車山からは、厳かな雰囲気を感じるところが、他の山車とは違ったところ。 

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 2階には、立派なシアターがあって、高岡市制作の御車山祭を紹介する映像が見られるよ。内容は、とても分かりやすくて、祭りの歴史がよく伝わってきたな。でも、次に作り直すときには、もうちょっとエンタメ要素を入れ込んだ方がいいなと思ったり

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※町の名前が間違ってたから、直してみたよ。これであってるのかな?教えてくださったkomeさん、ありがとね。
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 それは、高岡の街を散策に訪れた日の話。鋳物の街金屋町を後にしたボクは、もう一つの歴史的地区、山町筋を訪れることにしたんだ。

 かつての、高岡の金融の中心としてにぎわったエリアには、大正時代初期に建てられた旧富山銀行本店が「赤レンガの銀行」として、今でも、でんとそびえ立っているよ。

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 その向かいには、「高岡御車山会館」。こちらも表は土蔵造りの渋い構え。

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 「高岡信用金庫本店」は、新しく建て直されたものだろうけれど、土蔵造りの様式を残していて、周囲の景観とマッチするように造られているんだ。

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 「松匠」は石場建という昔ながらの工法での住宅を建てている建築屋さん。歴史ある通りにある住宅屋さんは、その建て方まで伝統的方法をとっているのが面白いね。

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 土蔵の街を西に歩いて、高岡郵便局があるT字路を右に曲がると見えてくるのが、明治・大正時代の偉人、高峰譲吉の生家跡に造られた「高峰公園」。みんな、高峰譲吉って知ってる?

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 高峰譲吉というのは、江戸時代末に高岡に生まれた化学者で実業家。『ジアスターゼ』という消化酵素を抽出して『タカジアスターゼ』と命名した人物なんだ。『アドレナリン』を発見した人物としても知られていて、高峰先生の発見した物質は、薬品として現在でも販売されているという素晴らしき人物。

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 この薬品のおかげで、アメリカで巨万の富を築いた高峰先生は、首都ワシントンを流れるポトマック川ほとりの桜並木を寄贈した人物としても知られているよ。アイディアを出したのはシドモアという紀行作家だけど、実際に寄贈したのは高峰先生ってこと。

 最初にアメリカに苗を贈ったときには、検疫で病害虫が見つかって、全部焼却処分されたんだって。ところが、高峰先生は決してあきらめず、苗木の選定や育成、土壌の手入れなんかを徹底して、再度アメリカに贈ったんだっていうよ。この時の桜は、「これほど完全な輸入植物をいまだかつて見たことがない」と、検疫官や検査官から称賛されたっていうから、何とも素晴らしいお話。

 東京では、戦中に桜の木が伐採されてしまったんだけど、戦後復興されることになって、このワシントンの桜が逆輸入されたんだって。今、墨田川や荒川のほとりに咲いている桜は、高峰先生が贈った桜の末裔だってことだね。

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 そんな素晴らしき人物が富山から出たとは、何とも素敵なお話ではないか。高峰先生自身は、お父上が加賀藩の御典医だったこともあって、幼いうちに金沢に移り住んだというけど、こうして今でも生誕地が大事にされていることは素晴らしい。

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 彼の地には、銅像も飾ってあるんだ。

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 なんとも立派な身姿。

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 渋沢栄一と一緒に今の日産化学を創設したり、黒部川沿いで日本初のアルミニウム製造事業を推進したり、黒部鉄道や宇奈月温泉の礎となった黒部温泉株式会社を設立したりと、富山の産業の発展にも力を尽くしたんだ。

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 公園のお隣には、コミュニティセンターが建っているんだけどね、

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 その入り口が「高峰譲吉資料館」になっているんだ。高峰先生の業績がパネルで展示されているよ。

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 アメリカで住んでいた日本建築と庭園が模型で再現されていたんだ。こんな場所をアメリカに造れるとは、何たる資金力、と思うばかり。

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 何といっても、偉大な人物だよね。

※町の名前が間違ってたから、直してみたよ。これであってるのかな?教えてくださったkomeさん、ありがとね。
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