富山で飲み食い・おぼえ書きブログ

富山で見つけたおいしいお店やこじゃれたお店を書いていく、富山なグルメのブログなんだ。どこへ行ったか忘れてしまわないようにね。 わたしの好みだから、「それはちがう」とか言わないでいただきたい。 ときには、旅した記録も、書き残すことにするよ。

タグ:日本の歴史

 それは、栃木県にある湯西川温泉を訪れる前の日のお話。翌日からのホテルマン勤務を控えていたボクは、前日に、栃木県入りしようと思ったんだ。

 栃木県佐野市でかの有名な「佐野ラーメン」を堪能したボクは、その日の午後、栃木県足利市を訪ねてみたよ。彼の地には、日本最古の学校として知られる「足利学校」があるからね。

 それでは、有名な「学校」の額がかかった正門をくぐろうではないか。

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 中学校の歴史の教科書にも登場する「足利学校」は、室町時代中期に守護大名上杉憲実(のりざね)によって再興したという歴史を持つ、中世の高等教育機関。戦国時代には学徒3000人を数え、あの宣教師フランシスコ・ザビエルが、日本国中で最も大きくて、最も有名な坂東の大学と世界に紹介したほどの、関東の最高学府なんだ。

 「再興」が室町時代であって、創建については、奈良時代、平安時代初期と諸説があるんだって。どっちにしても、すごく古いことには間違いがないよね。
 
 こちらは、最初の御門。奥に小さく見えてる二つ目の門に「学校」の額がかかっているよ。

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 足利学校は、江戸時代には、幕府から100石を賜るなどの加護を受けてたらしいね。でも、廃藩置県に伴って、栃木県の所有となり、建物がどんどん壊されていったのだとか。

 それではいけないと、旧足利藩士たちが運動を起こして、再び地域の物となり、残されていた孔子廟などを保護するようになって、今にいたるみたい。

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 現在、あるのは平成2(1990)年に復元された建物。江戸時代中期のもっとも栄えてた頃の建物を再現したんだって。

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 この日は、夜にライトアップするイベントの準備中だったんだ。光と花々に包まれた「足利学校」は、さぞ美しかったことだろうね。

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 この夏、九州を訪れたのは、これまでまだ行ったことのない県を訪ねて、全県制覇しようと思ったから。日本の中でボクがまだ行ったことがなかったのは、佐賀、長崎、鹿児島、大分、宮崎の5県だけだったんだ。

 福岡県には以前にも訪れたことがあったけど、その時には、福岡市にある水族館「マリンワールド海の中道」を訪ねるのが目的だったんだ。とても素敵な水族館で、九州的には有名どころだけど、まぁ、富山の人はあまり知らないよね。だから、此度は、とりあえず福岡に寄って「太宰府天満宮」訪ねてみたかったんだ。今回の九州旅行は、九州ならここでしょ、っていうポイントを押さえることも目的の一つだったんだよね。



 さて、福岡から長崎に行く途中にあるのが佐賀。でも、佐賀といえば、と言われても、なかなか返事ができないよね、佐賀の人には申し訳ないけど。まぁ、その辺りは富山も似てるかも、なんだけどね。唐津、伊万里といった焼き物の街は佐賀県にあるんだけど、移動ルートからはかなり大きく離れていて、時間的に厳しかったんだ。

 寄るのやめようかと思ったところで見つけたのが「吉野ヶ里遺跡」。おお、一時は邪馬台国の跡ではないかとうわさされた、弥生時代の集落の巨大遺跡ではないか。ちょうど移動ルートの途中にあったので、佐賀の代表地として、「吉野ヶ里歴史公園」を訪れることにしたんだ。

 この日も猛暑日だったけど、屋外施設ばかりの園内を元気に巡回。物見やぐらがそびえ立つ風景に、図鑑の世界が広がっていると、感激したよ。

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88_31←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね

 福岡から鳥栖までは、JR特急で移動。鳥栖からは、普通列車で吉野ヶ里公園駅まで移動したよ。JR九州の列車は、福岡近郊を走る車両を中心に、とてもスタイリッシュな乗りたくなるデザイン。

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 吉野ヶ里公園駅の前には、「吉野ヶ里コミュニティセンター」という施設があって、大きな荷物はここで預かってくれるよ。

 「吉野ヶ里歴史公園」は駅から歩いて15分余り。なかなかの距離なんだけど、コミュニティセンターにはレンタサイクルもあって、自転車ならば5分足らず。有料だけど、300円だか500円だったから(いくらだったか忘れた)、これは借りるに限るでしょ。

 ボクが借りたのは朝一だったから、自転車選び放題だったけど、11時ごろに戻ったときには一台もなくなっていたので、借りるにはタイミングを選ぶ必要があるかも。

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 駅前の木々では、セミの大合唱。羽根が透明な九州のセミは、クマゼミというみたい。かつては、アブラゼミもけっこういたみたいだけど、近頃は、クマゼミが生息地を広げているんだとか。昆虫図鑑などでは「シュワッシュワッ」などと表現されている鳴き声は、福岡の人には「ワシワシ」と聞こえているみたいだね。

 何の予備知識もなかったボクには「シャクシャク」と鳴いてるように聞こえたよ。そして、1匹なのにかなりの大音量。体も大きいから、クマゼミというのだろうか。

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 自転車で田園地帯の間道を走りぬけたら、あっという間に「吉野ケ里歴史公園」。この門から管理棟やレストランのある建物までは、300mぐらいはあって、なかなかの広さのあることがうかがわれるのだ。

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 ようやく見えてきた歴史公園センター。

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 入場券を買って、ゲートを抜けると、「天の浮橋」の向こうの森が「吉野ヶ里遺跡」。

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 入り口には村を巡る堀が再現されていたよ。その内側の通路の縁には、尖った丸木がたくさん地面にさしてあって、侵入者を防ぐ仕掛けも再現されていたんだ。弥生の昔は、村ごとに他者の侵入を恐れていたと考えられるけど、こうして、その仕掛けを見ると、何とも生々しいね。

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 中ほどには、「吉野ヶ里遺跡展示室」が設けられていて、発掘の歴史や、主な発掘物のレプリカが展示されていたんだ。ここは、冷房もよく効いていたので、すっかり長居してしまったな(笑)。

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 中には、発掘された弥生土器。

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 こちらは、甕棺(かめかん)。土器で作った亡くなった人を納める棺だけど、いろんなサイズが発掘されていたんだ。これがまだ一部で、実際にはもっとたくさんあっただろうと思うと、この場所が、実に多くの人が暮らすスペースだったんだと、とても強く感じだられたのだ。

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 弥生人には在来人と渡来人の2系統があって、それぞれが、集落をつくっていたと考えられているよ。吉野ヶ里は、渡来系弥生人の集落だったんだって。

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 発掘された甕棺のレプリカには、首のない人骨も再現されていたんだ。戦いの後、首を持ち去られた戦士の遺体を埋葬したのではないかと考えられているよ。この甕棺の発掘の様子も、雑誌か何かで見た記憶があるんだよね。

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 遺跡からは、いくつかの内堀に囲まれたエリアがあって、それぞれにあった柱の跡から建物が再現されているんだ。下の写真は「南内郭」の様子。南、西、東の3カ所を見渡せる高くて平らな場所に設けられた、ムラの中心の一つだよ。

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 物見やぐらは、現代の建物4階分ほどの高さがあるんだ。見つかった柱の跡の太さから考えると、このぐらいの高さがあったのではないかと予想して再現されたみたい。

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 下から見上げれば、実に堂々とした造り。

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 上に登って周辺を見渡してみたよ。物見やぐらは、「南内郭」の4隅に設けられていて、この場所は、南端のやぐら。さらに南の少し低いところには、一般の住民が生活したであろう竪穴住居の跡が多数見つかったエリアがあるんだ。

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 西側には、二重になった堀の間に、高床式倉庫が並んだエリアがあったよ。外堀の外には、小さな建物がたくさん復元されていたんだ。

 このエリアには、市があったと想定されているよ。そこで取引されたものが倉庫にしまわれたり、倉庫から出したものと交換したりしたんだろうね。お金なんてない時代だから、物々交換。

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 北西の方角には、川を挟んで遠くの山が見渡せたよ。物見やぐらの一番上には、観光ボランティアさんがいて、周辺の様子を説明してくれたんだ。川向こうの住宅街の場所にも、吉野ケ里と同じような環濠集落があったのではないかという話だったよ。

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 「南内郭」の中の竪穴住居には、有力者が住んでいたと考えられているよ。

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 中には、当時の暮らしが再現されていたな。とはいえ、この遺跡から発掘されているのは、建築物の跡となる穴が主。柱や屋根といった木材でつくられたものは、朽ちてしまうからね。人形が着ている衣服や建物の内装などは、他の遺跡から見つかっているものなどから、当時の様子を想像して再現しているみたいだよ。

 このお屋敷も、「『大人』の妻の家」とあったけど、「大人」というのも、日本についてのもっとも古い記録が残る中国の歴史書「魏志倭人伝」に書かれていた内容から、想定したのだと思われるよ。「大人」は夫と妻がそれぞれ家を持っていたというのも想定、だろうけど、これはどこからそう考えたんだろうね。

 「魏志倭人伝」は、邪馬台国への行程が記されていることで知られているけど、当時の倭国の生活、風俗についてもけっこう詳しく書かれているみたい。下戸(普通の民)は、大人(身分の高い人)に会うと、道を空けて草むらの中に入る、などといった記述もあるようだからね。

 この吉野ヶ里遺跡は、そういった、弥生時代に関して現在わかっているありとあらゆる知見を集めて、当時の暮らしを再現した世界を造り上げているみたい。何とも素晴らしき、日本の古代遺跡だったよ。

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 こちらは、「北内郭」の入り口。こちらの内郭は、「南内郭」より狭いながらも、二重の柵に囲まれていて、警護が厳重だったんだね。

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 そして、見つかった建物の柱跡もさらに太く、数も多かったことから、吉野ケ里で最大の建物があったと想定されたみたいだね。かくして復元された建物がこちら。3階建ての「主祭殿」だよ。

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 こんなに大きくて立派な建物が、弥生時代に建てられていたとしたら、それは、全くもって素晴らしい。この吉野ヶ里を中心として、クニとして栄えていたことの証しだね。

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 2階は、有力者や周辺のムラのリーダーたちが集まって、収穫の結果を報告したり、困ったことを相談したりといった、会合場所として使われたと想定されていたよ。

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 3階では、祖先の霊のお告げを聞くための祈りが行われたという想定。

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 主祭殿の隣にも高床式倉庫の跡があったんだね。こちらの倉庫には、祀りに使われる道具や宝物がしまわれていたのではないかと考えられているよ。

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 この北内郭にも物見やぐらがあったから登ってみたよ。こちらのやぐらは、北内郭内の安全を見守るために造られた感じがしたな。

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 高床式倉庫の足に設けられた『ねずみ返し』。これだけ見事にふさがれていると、ねずみの入る余地は全くないのだ。

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 「北内郭」のさらに北側には、甕棺を並べて埋葬したエリアが広がっていたな。

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 そのさらに北側には、墳丘墓があるんだ。こちらには、有力者が埋葬されていたと考えられているよ。

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 その墳丘墓は、今は、建物になっていて、その上に土をかぶせたような造り。

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 中は、発掘時の墳丘墓の甕棺が、当時のままの状態にレプリカで復元展示されているんだ。

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 当時の人々の死生観がうかがわれるエリアだよね。

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 吉野ケ里歴史公園は、そのエリアがとてつもなく広いから、園内を循環する無料シャトルバスが運行しているよ。北墳丘墓のすぐ横にバス停があったから、バスに乗って入り口近くの広場へと戻ることにしたんだ。

 今回見て回った「南内郭」から「北内郭」「北墳丘墓」のあたりが、この公園の主要エリアなんだけど、けっこうたくさん回ったようで、園内の10分の1程度の広さ。いかにスケールの大きな公園なのかと驚くばかりだよ。

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 入り口には貸笠が用意されていたな。日差しが厳しいから、これはありがたいかも。笠、っていうのも場の雰囲気に合わせてあって素晴らしい。

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 古代の日本の人々の暮らしがうかがわれる、素晴らしき歴史公園だったよ。
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 今年の夏は、まとまった休みを取ることができたんだ。だから、一度訪れてみたかった遠くの街に行ってみることにしたんだよね。


 かくして、まず訪れたのがこちら。福岡県にある「太宰府天満宮」だよ。大正3(1914)年に再建された楼門は、鮮やかな朱塗りが美しい。

 表から見ると二重屋根だけど、後ろ側は一重屋根と、形が違って見えるのが世にも珍しい造りなんだって。そのことを知ったのは、家に帰ってからだったから、残念ながら後ろの一重屋根を見た記憶はなかったり(残念)。

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88_31←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね

 天満宮に至る参道も、木立のあるおもむき豊かな風景。この日も猛暑の厳しい日だったけど、けっこうな数の観光客が訪れていたんだ。お土産屋さんや梅ヶ枝餅屋さんが並んで、楽しい雰囲気で一杯の通りだったよ。

 中国語や韓国語がかなりの頻度で飛び交っていたし、西洋の人々の姿も少なからず。世界の人々が訪れる観光地として、とても賑わっていたね。

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 楼門、本殿に向かう参道の鳥居。

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 「心」という漢字をかたどって造られたという「心字池」。ここにかかる3つの赤い橋は、過去・現在・未来を表すのだとか。この橋を渡ることで、心が清められていく、ってことらしいよ。

 橋は、1つ目と3つ目は太鼓橋で、2つ目は平らな橋なんだけど、これにも意味があるのかな。

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 池は静かに水をたたえていて、眺めていると、確かに心が清らかになっていきそう。

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 この心字池にかかる3つの橋にまつわる話は、さだまさしさんの若いころの歌「飛梅」に出てくるから知っていたんだ。曰く、

 心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)
 三つ目の橋で君が 転びそうになった時 初めて君の手に触れた 僕の指



 では、「過去」「現在」「未来」を渡って、本殿に向かおうではないか。

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 心字池を越えた参道には、風鈴をたくさんぶら下げた通路が造られていたよ。涼やかな音が、これまた心地よいのだ。

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 手水舎には、一枚岩でできた大きな手水鉢が置かれているよ。昭和9(1934)年に奉納されたものだというから、かれこれ90年もこの地で、人々の手を清めているんだね。この手水舎も、漆塗りの立派な造りなんだ。天満宮の風格を感じる、手水舎だったよ。

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 太宰府天満宮は、平安時代の貴族・政治家であり学者でもある菅原道真の墓所の上に建てられた神社。本殿は、天正19年(1591)に筑前国主小早川隆景の寄進により造営されたといわれているから、かれこれ430年もこの地にあることになるね。

 ただ、この本殿は現在改修工事中。2023年5月から3年かけて大改修を行っているんだって。124年ぶりの大改修だそうで、この日は拝むことができなかったんだ。これまた、残念。「飛梅」として知られている梅の木も、半分は囲いの中に納まっていたよ。

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 本殿が回収されている間は、「仮殿」が造られていて、天神さまはそちらで過ごしておいでなんだ。この仮殿がまた、屋根の上に木々を宿しているという何ともクールな造り。鏡も目の前にあるし、神事も間近に見えて、これはこれで、ありがたみが増すというものだ。

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 賽銭箱も、曲線を生かしたデザインがクールなんだよね。ただ漫然と改修工事を行うのではなく、お参りに来た人を満足させる対策が立てられているあたり、さすが、天神さま信仰の聖地だと思ったよ。

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 今まで歴史の本で何度も目にしてきた「太宰府天満宮」を、自分の目で見ることができてうれしかったよ。そして、かの地が日本の歴史を刻んできた様子が目の前に浮かんできて、とっても感激したんだ。いやぁ、ここまで来てよかった。
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 この日は、富山駅までやって来たよ。5月1日(土)と2日(日)は、「BOOK  DAY とやま」が開催されているんだ。古本好きのボクとしては、行かねばなるまい。

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88_31←富山を元気にするブログがいっぱいあるから、見てね。

 県内外から、たくさんの古書店が集まってるんだけど、それぞれの店がそれぞれの個性を競っているから、のぞいて回るだけでも、とても楽しいんだ。富山に関する書籍も、それぞれの書店が相当数並べていて、こんな本があったのかと驚くばかり。気になる本も見つけたけど、お値段見たら27,500円と書かれていてびっくり。とても手が出ず、あきらめたのだった。

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 会場の一角には、こんなパネルが並んでいたんだ。窓から顔を出して、写真を写せるパネル。富山の各地を走る鉄道を前から見た姿をかたどっていて、これならけっこう受けるだろうと思うよね。

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 ボク的には、やはり地鉄電車のパネルがいいなと思ったよ。

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 古書店をいろいろ回って、おお、これはと思う本に、ようやく巡り会ったんだ。『迷宮歴史俱楽部』は、太平洋戦争中の日本の様々な習俗や当時の日本の空気感を、イラストでルポした、何とも読みやすい1冊。

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 決して忘れてはいけない昭和の歴史は、こんな風にビジュアルに伝えたなら、色あせることもないだろうと思うよ。

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 すっかり読みふけってしまったのだった。

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