富山で飲み食い・おぼえ書きブログ

富山で見つけたおいしいお店やこじゃれたお店を書いていく、富山なグルメのブログなんだ。どこへ行ったか忘れてしまわないようにね。 わたしの好みだから、「それはちがう」とか言わないでいただきたい。 ときには、旅した記録も、書き残すことにするよ。

タグ:富山の歴史

 この日は、磯部の辺りを散歩していたんだ。この辺りを、じっくりゆっくり歩いてみるのは初めてだったんだよね。

 BBTから前の通りを北に向かって進み、ポルトガル料理のレストラン「コンヴィーヴィオ」のある小さな交差点を東に曲がって少し進むと、こんな石塔が立っているのに気づいたよ。

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 嘉永6(1853)年に建立された法界塔。神通川の氾濫をしずめ、水害で亡くなった人々の魂を慰めるために、富山法華宗の信徒が建てたんだって。できてから、かれこれ170年も経つ、富山の歴史をずっと見つめてきた石碑なんだ。

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 毎年、7月23日には、供養を捧げているんだとか。水害からくらしを守りたいという願いは、永遠になくなることはないからね。

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 建立から150年経った平成15(2003)年には、大修理も行っているみたい。今の威容ならば、これから100年は、富山を守り続けてくれることだろうね。

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 設置されているのは、「万寿橋」のたもと。街の中には、こんな歴史が随所にあるのだろうと思った、散歩デイだったよ。

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 この日、所用で訪れたのは「富山県庁本館」。言わずと知れた、富山県の行政を担うお役所だけれど、この風格ある構えには、いつ見てもしびれてしまうんだ。

 この建物ができたのは、1935年(昭和10年)のこと。明治時代に富山城の敷地の中に建てられた県庁が、1930年(昭和5年)に火事で焼けてしまって、その後に、今の場所に建てられたんだって。県庁舎としては、全国で5番目の古さみたいだよ。

 この場所は、かつて神通川が流れていたところを埋め立てた廃川地。埋め立てには、1930年(昭和5年)に建設が始まった富岩運河から出た土砂を使ったというから、出来上がったときには県庁しかなかったのかもしれないね。周囲には、今とは、全く違った風景が広がっていたはず。

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 スロープを登ったところが正面の入り口。中に入ると、中央の立派な階段が、来客を迎えてくれるんだ。こういう造りが、何とも昭和レトロな雰囲気だね。

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 階段わきのスペースには、バスケットボールチーム、富山グラウジーズの応援パネルが飾ってあったよ。リーグの編成替えに向けて、県も応援しているんだね。

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 ボクが初めて県庁を訪れたのは、今よりはるか昔の小学生時代。

 社会科の授業で、富山の移り変わりについて学習する機会があってね。当時、まだ、県内の西半分しかつながってなかった北陸自動車道の、今後の工事の見通しについて知りたいと思って、友達と二人でやって来たんだ。

 受付で要件を話したら、通されたのが「知事公室」。その頃は、高速道路をつくるというのは、知事直轄のプロジェクト案件だったんだね。何人もの人がやってきて、今後の工事や開通時期の予定について、詳しく説明してくれたよ。

 高速道路は全国に網の目のように張り巡らすよう計画されていることや、まずは東名・名神・中国道、東北道、中央道のように、日本を背骨のように貫く路線をつくること、その後に、海沿いをつなぎ、最後に横断道の建設に入ること、などを知ったのはその時のこと。

 たくさんのパンフレットをもらって、最後には、オレンジジュースまでいただいて、「知事公室」を後にしたのだった。

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 この時代、そういうことを知りたかったら、関係の行政機関を訪ねるしかなかったんだよね。とはいえ、小学生が県庁まで取材に来ることはなかなかなかったみたいで、かなり珍しがられてたけどね。

 高速道路の計画や建設の進捗状況といった情報も、今では、簡単にインターネットで手に入るでしょ。そう思うと、高度情報化社会、っていうのが、生活の在りようをすっかり変えてしまったことを、あらためて感じてしまったのだった。

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 それは、犬島にあるスイーツの店「ワイルドベリー」を訪れた日の話。富山地鉄富山港線に乗って出かけたボクは、「犬島新町駅」で降りて、住宅街の中にあるお店へと歩いて行ったんだ。

 その途中で見つけたのが、この石碑。どうやら、今から170年ほども昔の1858年(安政5年)に富山県と岐阜県の県境にある跡津川断層付近で起こった、安政の大地震に関係しているみたい。

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 石碑の来歴もあったんだけど、文字の下半分が消えているのが残念。どうやら、広田や針原あたりに農作業に出向いていたこの界隈の人々が、泥洪水に飲み込まれて命を落としたらしいね。その犠牲を記憶にとどめるために残された石碑のようだよ。できたのが明治17年というから、なかなかに歴史のある石碑だね。

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 彼の地にずっと立ち続けて、地域の変遷を見守り続けてきたのだと思うと、なんだかしみじみしてしまうんだ。

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 常願寺川沿いを大川寺の方に登っていくと、道は、やがて、常願寺川と並行して流れている用水のほとりを走るようになるんだ。その途中にあるのがこの場所。

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88_31←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね

 線の間の川底に見えるのは、今から400年ほど昔に造られた堤防の上の面なんだ。当時、富山を治めていた織田信長の家臣、佐々成政が築いた常願寺川の堤防だから、「佐々堤」と呼ばれているよ。この用水を掘ったときに、埋まっていた佐々堤が発見されたってことだろうね。

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 この界隈の松林は、「殿様林」と呼ばれているんだ。この林も、常願寺川の洪水を避けるのを目的に、江戸時代に前田藩が植えさせたもの。前田のお殿様が植えさせた林だから、殿様林なんだね。

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 この辺りから見る立山は、電線とかがないから、見事な見晴らしなんだ。いやぁ、雄大だねぇ。

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 佐々堤は、並行に何本も長い堤防を築く、霞堤(かすみてい)という造りだったといわれているよ。この界隈の地面の下には、それら堤防が埋まってるってことだよね。400年前の人々は、いったいどんな思いでその堤防を築いたのかと思うと、なんだかジーンとしてしまうのだ。

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 「佐々堤」からさらに少し上ると、用水は木立に包まれるよ。この辺りの景色も、今の新緑の時期には心地よいよね。

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 とうとうと流れて、気持ちの良い流れなのだ。

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 それは、立山道行きの石の道標を見かけた日の話。道標には「右 立山道」とあったけど、右へ進めば、今は、上滝を通って常願寺川を渡り岩峅寺へと向かう道。ということは「左」へ向かう道もあったってことだよね。どこへつながっていたんだろう。

 今は、いたち川に沿って、細い道があるんだ。少しさかのぼると、向こう側に渡る小さな橋があって、そこに至る道のくねり具合が昔の街道っぽい感じなんだよね。橋を渡れば、その道を見守るように古木が立っているんだ。 

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 古木の下には、街道筋を見守るように馬頭観音があったよ。

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 「馬頭」というからには、馬を祀ってるんだよね。もともとは、観音菩薩の変化身の一つだったみたいだけど、江戸期には、馬を守り、死後にはその菩提を弔う観音様と考えられたようだよ。この場所にも、馬が行き来していたから、馬頭観音が据えられたんだろうね。

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 馬頭観音っていうのは怒った形相をしてるものだ、と聞いたことがあるけど、こちらの観音様は、割と穏やかな顔つきをしていると思ったな。

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 横には、但し書きもあったんだ。この観音様がある道もまた、立山道のひとつだったみたい。成人儀礼の立山登山を行う時には、家族がここまで送り迎えをする習わしがあったんだとか。この界隈も、遠い昔から人々が行き来していたんだね。

 横にある大樹は、何の木なのだろう。これまた歴史を感じる趣き。

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 市の指定保存樹木第148号なんだとか。こういう木が、他に少なくとも147本はあるってこと?

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 枝ぶりはなかなか見事だよ。馬頭観音がある限り、ずっと元気であり続けてほしいものだ。

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