富山で飲み食い・おぼえ書きブログ

富山で見つけたおいしいお店やこじゃれたお店を書いていく、富山なグルメのブログなんだ。どこへ行ったか忘れてしまわないようにね。 わたしの好みだから、「それはちがう」とか言わないでいただきたい。 ときには、旅した記録も、書き残すことにするよ。

タグ:博物館

 この日は、伊豆大島からジェット船に乗って新島にやってきたんだ。

 ボクは、どこか知らない街、初めて訪れた街に博物館があれば、できるだけ訪れるようにしているんだ。新島にも、中心集落の外れに「新島村博物館」があると聞いたから、訪れることにしたよ。

 ジェット船が着く新島港からは、中心街を通り抜けて反対側。先に訪れた「湯の浜露店温泉」「新島ガラスアートセンター」は、港よりもさらに中心街より遠くにあったから、それらの場所からは、1時間ほど歩いて反対側へと進んだところに、博物館はあったよ。行くだけでも大変だったんだ。

 かくしてたどり着いたのがこちら。2階建てのなかなか立派なサイズの博物館だったよ。

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 新島、式根島の土地の成り立ちや、縄文期からの遺跡発掘の状況、江戸時代の民家の再現模型などなど、ツボを押さえた展示がなされていて、見ごたえのある博物館だったんだ。

 中でも、流人に関する展示は、他の博物館では見ることがないだけに、面白かったよ。この島には、1333人の流人が流されてきたそうで、江戸時代のその記録はすべてそろってるんだって。お役を務めていた武士たちは、実に勤勉だったと思うね。

 それ以前の記録、特に、鎌倉・室町期の記録はほぼ存在しないそうで、そんな中、豊臣秀吉が島に配った「禁制(軍勢による住民への乱暴狼藉・放火・田畑の収穫物奪取などを禁止し、違反者には厳罰を科すことを記した書。支配地の生活保護を図ろうとした。)」が存在しているのは、素晴らしいと思ったよ。秀吉の書、ということで、大切にされていたのかな。

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 新島といえば、「くさや」だよね。伊豆諸島ではどこの島でも作ってるみたいだけど、発祥は、この新島だとされてるみたい。塩が少なかった時代、魚を長く保存して食べようとした、人々の知恵の結晶だよ。

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 手動の消防ポンプは、きれいに手入れされて、今でも使える感じ。

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 再現された江戸期の民家の様子は、「利島村資料館」の民家の様子よりもかなりリッチに見えるんだ。生活の豊かさの違いが、現れている気がするね。

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 棒受網漁を再現した巨大な模型は、様子がよくわかってなるほどだったよ。

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 2階には、日本のサーフィン史をたどる展示があったんだ。新島といえば、プロのサーフィン大会が開かれるほどのサーフィンのメッカだからね。左端のボードは、日本人ボーダーが1960年代に使っていた自家製ボード。こうして、残されてることに、大きな価値があると思うよ。

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 こちらは、1960年代の国産サーフボード。外国産の半値ぐらいで売られたそうで、当時の人には、画期的な出来事だったみたい。

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 島の名産、コーガ石に関する展示もあったよ。

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 この石に高熱を加えると、透明なオリーブグリーンのガラスになるとは、まったくもって驚き。それを最初に見つけた人は、さぞかし、うれしかったことだろうね。

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 中心街には、このコーガ石を道路脇の壁に張り巡らした「コーガ石波ロード」があったよ。

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 庭の壁も、家の壁も、車庫の壁も、すべてコーガ石でできていたんだ。生垣にするよりも、安くて頑丈なんだろうと思ったよ。

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 こちらは、中心街から「新島村博物館」へと向かう道。けっこうな森の中を抜けていく坂道なんだ。

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 博物館の前には、移築された蔵や古民家があったよ。蔵もやっぱりコーガ石製。

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 ネズミも泥棒も寄せ付けない雰囲気だね。

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 古民家は、茅葺の木造。扉を開け放すと風が吹き抜けるようなつくりは、沖縄の古民家と構造が似ているね。さすが島の家だな、と思ったよ。

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 一番奥の間には、棚をはさんで仏間と床の間。

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 囲炉裏があって、そこがふだんのくらしの間だったのは、本土の古民家と同じだね。

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 2階には、蚕を飼う部屋があったんだって。養蚕も、島の大事な産業だった時代があるんだね。

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 驚いたことに、神棚が2つもあるんだよね。伊豆諸島には、年に1日、物忌みの日があって、家にこもる風習があったんだって。家の神様が、やってくる神様をお迎えし、あるいは、お送りするために、2つの神棚が設けられているのだとか。

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 仏壇と床の間の配置も、独特だよね。この配置が特別なものではないことが、中心街で雑貨屋さんに入ったときに見せてもらった、その家の造りからもわかるよ。

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 こちらがその雑貨屋さん。お店の名前は、「OIGIE SHOP & OFFICE」。築100年の古民家をリノベーションして営業しているお店だよ。

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 こちらは、普段はオフィスとして使ってるスペースなのかな。博物館の古民家とはちょっと間取りがちがうけど、奥の端に仏間があって、床の間と棚があるところは同じ。

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 仏壇というよりは、位牌が並べているところが、ご先祖様一人一人を祀っている感じが強いのだと思ったよ。

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 そして、ちゃんと神棚も2つあったのだ。

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 これも、今は廃れた、昔の島暮らしの習俗を残したもの。網をしまっておく網納屋だよ。

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 こういう納屋が、昔は、海岸沿いに点在していたんだって。

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 それは、「トトンkitchen」を訪れた日のお話。複合施設「トトン」の2階奥に、何だかとっても素敵なスペースを見つけたんだ。「トトンPHOTO STUDIO」ってあったから、どうやら、もともとは写真スタジオだったらしい。

 ところが今は、この場所を仕切ってる写真家さんの博物館みたいになってるんだ。昔の銀塩カメラがところせましと並べられていたよ。

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 カメラにはうといから、どれが何かはさっぱりわかんないんだけど、これだけ並ぶととっても素敵に見えることは間違いないよね。

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 カメラ以外にも、いろんな昭和を感じるグッズが置いてあったんだ。

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 電球はストロボ用?

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 組み立てられてないプラモデルの箱が、とってもレトロ。

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 このごちゃごちゃ感がたまらないよね。

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 とっても素敵な空間を楽しむことができるんだ。

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 「トトン」の2階には、コワーキングスペースがあって、登録した人はいつでも利用できるみたいだね。

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 こんなブースもあったりして、オフィスとしての活用も可能な感じ。

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 1階は、中古家具の販売コーナー。レトロな家具が新しく生まれ変わっていて、引き取られていく日を待ち望んでいたんだ。

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 とても高感度でスタイリッシュなスペース。こういう場所が賑わうのって、素敵だよね。

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 この夏、九州を訪れたのは、これまでまだ行ったことのない県を訪ねて、全県制覇しようと思ったから。日本の中でボクがまだ行ったことがなかったのは、佐賀、長崎、鹿児島、大分、宮崎の5県だけだったんだ。

 福岡県には以前にも訪れたことがあったけど、その時には、福岡市にある水族館「マリンワールド海の中道」を訪ねるのが目的だったんだ。とても素敵な水族館で、九州的には有名どころだけど、まぁ、富山の人はあまり知らないよね。だから、此度は、とりあえず福岡に寄って「太宰府天満宮」訪ねてみたかったんだ。今回の九州旅行は、九州ならここでしょ、っていうポイントを押さえることも目的の一つだったんだよね。



 さて、福岡から長崎に行く途中にあるのが佐賀。でも、佐賀といえば、と言われても、なかなか返事ができないよね、佐賀の人には申し訳ないけど。まぁ、その辺りは富山も似てるかも、なんだけどね。唐津、伊万里といった焼き物の街は佐賀県にあるんだけど、移動ルートからはかなり大きく離れていて、時間的に厳しかったんだ。

 寄るのやめようかと思ったところで見つけたのが「吉野ヶ里遺跡」。おお、一時は邪馬台国の跡ではないかとうわさされた、弥生時代の集落の巨大遺跡ではないか。ちょうど移動ルートの途中にあったので、佐賀の代表地として、「吉野ヶ里歴史公園」を訪れることにしたんだ。

 この日も猛暑日だったけど、屋外施設ばかりの園内を元気に巡回。物見やぐらがそびえ立つ風景に、図鑑の世界が広がっていると、感激したよ。

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 福岡から鳥栖までは、JR特急で移動。鳥栖からは、普通列車で吉野ヶ里公園駅まで移動したよ。JR九州の列車は、福岡近郊を走る車両を中心に、とてもスタイリッシュな乗りたくなるデザイン。

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 吉野ヶ里公園駅の前には、「吉野ヶ里コミュニティセンター」という施設があって、大きな荷物はここで預かってくれるよ。

 「吉野ヶ里歴史公園」は駅から歩いて15分余り。なかなかの距離なんだけど、コミュニティセンターにはレンタサイクルもあって、自転車ならば5分足らず。有料だけど、300円だか500円だったから(いくらだったか忘れた)、これは借りるに限るでしょ。

 ボクが借りたのは朝一だったから、自転車選び放題だったけど、11時ごろに戻ったときには一台もなくなっていたので、借りるにはタイミングを選ぶ必要があるかも。

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 駅前の木々では、セミの大合唱。羽根が透明な九州のセミは、クマゼミというみたい。かつては、アブラゼミもけっこういたみたいだけど、近頃は、クマゼミが生息地を広げているんだとか。昆虫図鑑などでは「シュワッシュワッ」などと表現されている鳴き声は、福岡の人には「ワシワシ」と聞こえているみたいだね。

 何の予備知識もなかったボクには「シャクシャク」と鳴いてるように聞こえたよ。そして、1匹なのにかなりの大音量。体も大きいから、クマゼミというのだろうか。

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 自転車で田園地帯の間道を走りぬけたら、あっという間に「吉野ケ里歴史公園」。この門から管理棟やレストランのある建物までは、300mぐらいはあって、なかなかの広さのあることがうかがわれるのだ。

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 ようやく見えてきた歴史公園センター。

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 入場券を買って、ゲートを抜けると、「天の浮橋」の向こうの森が「吉野ヶ里遺跡」。

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 入り口には村を巡る堀が再現されていたよ。その内側の通路の縁には、尖った丸木がたくさん地面にさしてあって、侵入者を防ぐ仕掛けも再現されていたんだ。弥生の昔は、村ごとに他者の侵入を恐れていたと考えられるけど、こうして、その仕掛けを見ると、何とも生々しいね。

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 中ほどには、「吉野ヶ里遺跡展示室」が設けられていて、発掘の歴史や、主な発掘物のレプリカが展示されていたんだ。ここは、冷房もよく効いていたので、すっかり長居してしまったな(笑)。

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 中には、発掘された弥生土器。

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 こちらは、甕棺(かめかん)。土器で作った亡くなった人を納める棺だけど、いろんなサイズが発掘されていたんだ。これがまだ一部で、実際にはもっとたくさんあっただろうと思うと、この場所が、実に多くの人が暮らすスペースだったんだと、とても強く感じだられたのだ。

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 弥生人には在来人と渡来人の2系統があって、それぞれが、集落をつくっていたと考えられているよ。吉野ヶ里は、渡来系弥生人の集落だったんだって。

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 発掘された甕棺のレプリカには、首のない人骨も再現されていたんだ。戦いの後、首を持ち去られた戦士の遺体を埋葬したのではないかと考えられているよ。この甕棺の発掘の様子も、雑誌か何かで見た記憶があるんだよね。

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 遺跡からは、いくつかの内堀に囲まれたエリアがあって、それぞれにあった柱の跡から建物が再現されているんだ。下の写真は「南内郭」の様子。南、西、東の3カ所を見渡せる高くて平らな場所に設けられた、ムラの中心の一つだよ。

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 物見やぐらは、現代の建物4階分ほどの高さがあるんだ。見つかった柱の跡の太さから考えると、このぐらいの高さがあったのではないかと予想して再現されたみたい。

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 下から見上げれば、実に堂々とした造り。

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 上に登って周辺を見渡してみたよ。物見やぐらは、「南内郭」の4隅に設けられていて、この場所は、南端のやぐら。さらに南の少し低いところには、一般の住民が生活したであろう竪穴住居の跡が多数見つかったエリアがあるんだ。

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 西側には、二重になった堀の間に、高床式倉庫が並んだエリアがあったよ。外堀の外には、小さな建物がたくさん復元されていたんだ。

 このエリアには、市があったと想定されているよ。そこで取引されたものが倉庫にしまわれたり、倉庫から出したものと交換したりしたんだろうね。お金なんてない時代だから、物々交換。

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 北西の方角には、川を挟んで遠くの山が見渡せたよ。物見やぐらの一番上には、観光ボランティアさんがいて、周辺の様子を説明してくれたんだ。川向こうの住宅街の場所にも、吉野ケ里と同じような環濠集落があったのではないかという話だったよ。

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 「南内郭」の中の竪穴住居には、有力者が住んでいたと考えられているよ。

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 中には、当時の暮らしが再現されていたな。とはいえ、この遺跡から発掘されているのは、建築物の跡となる穴が主。柱や屋根といった木材でつくられたものは、朽ちてしまうからね。人形が着ている衣服や建物の内装などは、他の遺跡から見つかっているものなどから、当時の様子を想像して再現しているみたいだよ。

 このお屋敷も、「『大人』の妻の家」とあったけど、「大人」というのも、日本についてのもっとも古い記録が残る中国の歴史書「魏志倭人伝」に書かれていた内容から、想定したのだと思われるよ。「大人」は夫と妻がそれぞれ家を持っていたというのも想定、だろうけど、これはどこからそう考えたんだろうね。

 「魏志倭人伝」は、邪馬台国への行程が記されていることで知られているけど、当時の倭国の生活、風俗についてもけっこう詳しく書かれているみたい。下戸(普通の民)は、大人(身分の高い人)に会うと、道を空けて草むらの中に入る、などといった記述もあるようだからね。

 この吉野ヶ里遺跡は、そういった、弥生時代に関して現在わかっているありとあらゆる知見を集めて、当時の暮らしを再現した世界を造り上げているみたい。何とも素晴らしき、日本の古代遺跡だったよ。

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 こちらは、「北内郭」の入り口。こちらの内郭は、「南内郭」より狭いながらも、二重の柵に囲まれていて、警護が厳重だったんだね。

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 そして、見つかった建物の柱跡もさらに太く、数も多かったことから、吉野ケ里で最大の建物があったと想定されたみたいだね。かくして復元された建物がこちら。3階建ての「主祭殿」だよ。

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 こんなに大きくて立派な建物が、弥生時代に建てられていたとしたら、それは、全くもって素晴らしい。この吉野ヶ里を中心として、クニとして栄えていたことの証しだね。

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 2階は、有力者や周辺のムラのリーダーたちが集まって、収穫の結果を報告したり、困ったことを相談したりといった、会合場所として使われたと想定されていたよ。

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 3階では、祖先の霊のお告げを聞くための祈りが行われたという想定。

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 主祭殿の隣にも高床式倉庫の跡があったんだね。こちらの倉庫には、祀りに使われる道具や宝物がしまわれていたのではないかと考えられているよ。

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 この北内郭にも物見やぐらがあったから登ってみたよ。こちらのやぐらは、北内郭内の安全を見守るために造られた感じがしたな。

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 高床式倉庫の足に設けられた『ねずみ返し』。これだけ見事にふさがれていると、ねずみの入る余地は全くないのだ。

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 「北内郭」のさらに北側には、甕棺を並べて埋葬したエリアが広がっていたな。

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 そのさらに北側には、墳丘墓があるんだ。こちらには、有力者が埋葬されていたと考えられているよ。

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 その墳丘墓は、今は、建物になっていて、その上に土をかぶせたような造り。

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 中は、発掘時の墳丘墓の甕棺が、当時のままの状態にレプリカで復元展示されているんだ。

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 当時の人々の死生観がうかがわれるエリアだよね。

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 吉野ケ里歴史公園は、そのエリアがとてつもなく広いから、園内を循環する無料シャトルバスが運行しているよ。北墳丘墓のすぐ横にバス停があったから、バスに乗って入り口近くの広場へと戻ることにしたんだ。

 今回見て回った「南内郭」から「北内郭」「北墳丘墓」のあたりが、この公園の主要エリアなんだけど、けっこうたくさん回ったようで、園内の10分の1程度の広さ。いかにスケールの大きな公園なのかと驚くばかりだよ。

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 入り口には貸笠が用意されていたな。日差しが厳しいから、これはありがたいかも。笠、っていうのも場の雰囲気に合わせてあって素晴らしい。

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 古代の日本の人々の暮らしがうかがわれる、素晴らしき歴史公園だったよ。
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 それは、福岡県の「太宰府天満宮」を訪れたときのお話。境内の案内図を見ると、ちょっと先に「九州国立博物館」なる施設があるというではないか。博物館に目がないボクとしては、まして国立の博物館というからには、これは訪れずにはいられまい。

 かくしてこの日、「九州国立博物館」を訪れてみたんだ。九州の博物館だけあって、縄文期、弥生期の展示がかなり充実していたよ。こんな、図鑑で見るような遮光器土偶が、お出迎え。

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 大宰府の敷地に接して、こんな立派なエントランスがあったんだ。博物館は、奥の丘の上に位置していたよ。

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 だから、エントランスを入ると、長いエスカレーターがつながっていたんだ。さらに動く歩道のついたトンネルを越えたその先に、博物館はそびえ立っていたよ。

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 そう、この博物館こそは、そびえ立つという言葉がふさわしい。何しろ、木立の間に、巨大なガラスの壁面がにわかに見えてくるのだからね。

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 教科書に見るような火焔型土器もこの通り。この博物館は、写真の撮影は自由。むしろ、いろんなところで共有することを勧めていて、発信することで世の中に存在を知らしめたいと考えてるみたいだったよ。

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 縄文人が使ったであろう丸木舟。こんなので海を渡ったとしたら、昔の人は、なんとも偉大だったよね。

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 古墳に収められていただろう宝剣のレプリカ。かなり大きな宝剣で、実戦には向かないだろうけど、こんな美しい宝剣を手にした王ならば、さぞかし権威をひけらかすことができただろうね。

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 埴輪も群れで展示されてたよ。いずれも、何かで見たことあるのばかり。

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 こちらは、徳川6代将軍徳川家宣が朝鮮国王に宛てた国書の写し。こんな風に、印まで鮮明な写しが見つかったのは、これが初めてなんだって。

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 国書では、「日本国王源 家宣」と名乗っているんだね。鎌倉以来、源一族こそが武士の棟梁だと考えられていたことが伝わってくる国書だよ。それにしても、徳川が日本国王と名乗るなら、天皇家は対外的には何と名乗っていたんだろう。

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 この博物館、吹き抜けの空間がたっぷりのとても広々とした造りだったよ。

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 国立博物館は、東京、京都、奈良、九州と4つあるみたいだね。東京、九州と、これで2館訪れたことになるんだ。となれば、いつか、京都、奈良も訪ねてみたいものだ。
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 NHKのBSでときどき放送しているのが「中井精也の絶景!てつたび」という番組。見るつもりではなかったのに、チャンネルを切り替えるとたまたま入っていて、ついつい見入ってしまう、ってことが時々あるんだ。

 鉄道写真家の中井精也さんが、全国の鉄道を旅してまわって写真を撮る様子をドキュメントする番組。富山県内を訪れた回を見たこともあって、長髪でちょっとむさい感じなのに、その中井さんが撮る写真の繊細さ、美しさに感嘆した覚えがあるんだ。

 高岡市福岡にある博物館「ミュゼふくおかカメラ館」で、その中井さんの写真展をやっていたから、見に行ってみたよ。題して『中井精也写真展 ゆる鉄絶景100』。6月16日(日)までやってるんだって。

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 「ミュゼふくおかカメラ館」は、カメラの博物館として、ずっと前からその存在は知っていたけど、入館するのは初めて。思っていたよりも大きな施設で、驚いたよ。

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 ポスターには、JR氷見線を写した写真が使われていたな。

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 館内には、中井さんが写した全国の鉄道風景写真が、北から順に展示してあったよ。絶景100というからには、その数100点なんだろうね。

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 よくもまぁ、こんな素敵な場所を見つけたものだと、驚くばかりの風景が100も並んでいると、それはもう、壮観という他ないよね。

 ボクが一番気に入ったのは、この写真。地面に寝そべって、踏切と空だけが写るようにしたんだとか。バイクの小父さんが、なんとも哀愁を感じさせていいと思うんだ。そして、ここに列車が走り込んでくるところも、見てみたかったと思ったよ。

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 木立の中を抜けていくのも、夕日の中をかけていくのも、どれもが一瞬の風景だけど、その一瞬を見事に切り取っているのがすごいと思ったな。『ゆる鉄絶景』なんていってるけど、ひとつもゆるくないと思ったんだ。

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 この展示スペースもまた素敵。カメラ館のレイアウトも、写真の素晴らしさを引き立てているね。

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 大きな窓のある部屋も、その空間美が素晴らしい。

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 ポスターに使われていた、JR氷見線の写真がこちら。晴れ空の雨晴海岸で水面すれすれから写した写真には、列車と白い雲が水面に映り込んで、さわやかな夏のシーンを見事に描いていたな。

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 実は、この日ここに来たのはたまたまで、最初からこの写真展をやってるとは知らなかったんだ。だから、全くもって素敵な写真展に出会えて、幸せな時間を過ごせたのがラッキーだったよ。超ラッキーだったと付け加えておこう。

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 高岡で祭りといえば「御車山(みくるまやま)祭」。毎年、5月1日に行われる、高岡中心街の山町筋の各町が大きな山車を引きまわる祭りだよ。この日、高岡の街歩きをしていたボクは、守山町にある、この山車を展示した博物館「高岡御車山会館」に、寄り道してみたんだ。

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 この御車山は、国重要文化財に指定されているんだ。豊臣秀吉が使用した御所車を前田利家が譲り受けたものと伝えられているんだって。

 加賀藩2代目藩主の前田利長が、高岡の町を開町したときに町民に与え、それ以来、山町筋と呼ばれる10カ町が代々受け継いできたんだって。ざっくり400年も前からある山車だってことだね。すごーい。

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 上にのっている鳳凰の見事なこと。車輪一つとっても、丁寧な彫刻と金細工に高い技術が必要なことは言うまでもないよね。この豪華絢爛たる御車山があるおかげで、高岡の伝統工芸は維持されてきたのかもしれないね。

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 これは、木舟町の御車山に乗っていた昔の鉾留「胡蝶」。今のとは、同型、同サイズというけど、実に大きく素晴らしき逸品だね。蝶をリアルに大きく再現すると、モスラに見えてしまうのは、ボクだけではないはず

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 こちらは、上から見たところ。山車は、新湊でも城端でも高山でも見たことがあるけど、御車山からは、厳かな雰囲気を感じるところが、他の山車とは違ったところ。 

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 2階には、立派なシアターがあって、高岡市制作の御車山祭を紹介する映像が見られるよ。内容は、とても分かりやすくて、祭りの歴史がよく伝わってきたな。でも、次に作り直すときには、もうちょっとエンタメ要素を入れ込んだ方がいいなと思ったり

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※町の名前が間違ってたから、直してみたよ。これであってるのかな?教えてくださったkomeさん、ありがとね。
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 鋳物の街、金屋町の中ほどにあるのが「鋳物資料館」。前まで来てみると、以前にも訪問したことがあると思いだしたよ。入り口近くには、鋳物工場の工程を体験できる無料スペースがあるけど、奥の作品展示コーナーは有料。

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 こちらは、銅鑼(どら)だろうか。元禄9年の文字が見えるけど、江戸時代から綿々と大切にされてきたものみたいだね。

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 高岡でどのように鋳物が始まったかを、わかりやすく解説していたよ。説明してくれるのは、高岡市のマスコットキャラ「利長くん」と『家持くん』。

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 砂や鉄などでつくった鋳型に溶かした金属を流し込んで作るのが鋳物。高岡銅器というくらいだから、高岡では、銅を使った鋳物が生産の中心みたい。

 色が多彩なのは、煮たり焼いたり薬品をかけたりと実に様々な方法で、着色するから。古来よりいろんな方法で試してみて、それが伝統工芸として綿々と受け継がれているんだね。

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 かつて加賀藩領だった時代の地図。

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 この界隈の鋳物師は、開町したときにと家から移り住んできた人々。

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 ここで、こんなチケットを発見。5枚つづりで700円チケットは、この資料館で2枚消費。2軒回って、入場料合計が700円を越えれば、お得ってことなんだ。

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 こちらは無料で見られるスペース。前田利長がかぶっていたという「銀鯰尾兜(ぎんなまずのおかぶと)」をレプリカで作ったときの砂型や、出来上がった兜が展示されているよ。ここにくるだけでも、高岡の鋳物の偉大さがわかるのだ。

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 まぁ、時間があったら寄ってみるがよかろう(笑)。

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 国道8号線沿いにある「道の駅カモンパーク新湊」の隣に、こんな建物があるだけど、みんな知ってる?道の駅にはたくさんの人が立ち寄るけど、後ろに回ったこの建物は、外も中もとても静かな趣き。

 この建物は「射水市新湊博物館」。江戸時代に新湊に生まれた数学者『石黒信由(いしぐろのぶよし)』の様々な歴史的資料を所蔵している博物館だよ。

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 博物館のエントランスは、広々とした空間。このたたずまいがとても素敵だったな。

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 上を仰げば、天窓から差し込む陽の光が、まぶしくも気持ちいいのだ。

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 この博物館の主な所蔵品である『石黒信由関係資料』というのは、加賀百万石前田藩に仕えていた数学者、石黒信由に始まる4代にわたっての、和算、測量、絵図作成にまつわる様々を集めた資料。

 特に信由が測量した加賀藩の地図は、実に正確無比で、同時代の有名な測量家で交流もあった伊能忠敬の絵図と並び称されるほどなんだ。

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 かつては、射水市高木にあった「高樹文庫」という名の倉庫にしまわれていたけど、国指定重要文化財に指定され、今では大切に博物館に収蔵されているっていうわけ。展示されている地図には、虫食いの跡もずいぶんあるけど、これからは、安全に保存されていくことだろうと思うよ。

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 この博物館では、他に、かつてこの界隈が湿田だらけの水郷地帯だった様子や、鎌倉時代から室町時代にかけて越中の中心地として栄えた様子など、地域の歴史も展示されているよ。室町幕府の将軍が放生津にいた時代があるだなんて、何とも驚きではないか。

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 そんな、悠久の歴史を静かな空間で味わうことができるのだった。

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