旅に出たときに、
博物館を見つけると、
ついつい入ってしまう。
何しろ、行った先の歴史、文化、習俗を
短時間で知ることができるからね。
目立った史跡がないところでも、
博物館を訪れることで、
その地に隠れた、
歴史に関わる場所を知ることができる。
利尻島には、二つの町に
それぞれ、町立の博物館がある。
最初に訪れたのは「利尻町立博物館」。
仙法志の街から坂を登った、
島を周回する道道沿いにある。
利尻島は、北海道だから、
県道ではなく、
道道というのがおもしろかったり。
←応援ありがとう。
入れば、ニシン漁で使われた船がお出迎え。
昭和23年に建造された『雑平船』という。
ちゃんと建造年がわかっているのが素晴らしい。
昭和30年代にニシンが不漁になり始めてからは、
次第に使われなくなり、
今は、博物館に鎮座しているというわけだ。
館内は、『ニシン漁』に関わる展示が中心。
当時の漁師さんの生活を再現したり、
漁で使われた様々な道具を並べたりしている。
利尻島のニシン漁は、
江戸時代初期に始まり、
明治時代末期から昭和時代始めにかけて、
最盛期を迎えた。
そして、昭和30年代には、
にわかにニシンがとれなくなり、
ニシン漁は終わりを告げる。
この博物館では、
その盛衰の歴史を知ることができる。
ニシン漁は、春ごろ行われた。
その時期にだけ人手が必要で、
20代の若者が、約1000人ほども集まったという。
労働者たちは『ヤン衆』と呼ばれ、
『ニシン番屋』で生活していた。
博物館では、ニシン漁の仕方も、
ジオラマで紹介していて、
これは、わかりやすかった。
『定』とは、ニシン番屋の前にかけてあった板で、
漁で働く人々の名前や約束事が記されていた。

利尻島の自然といえば、
トドとゴマフアザラシである。
博物館の中央には、
見事なはく製が展示されていた。
先史時代、縄文期の発掘も行われ、
それらの展示もある。
間が抜けていて、次の歴史は明治時代、
というのも、
いかにも北海道の北の果ての島だと思う。
この島にはアイヌの人々も暮らしていた。
でも、その暮らしぶりや文化は、
形としては、残っていないということか。
本州から、
最初にこの地に移り住んだ人々の苦労たるや、
いかほどのものであったか。
今でこそ、
道路が広がるなど、インフラが整い、
家屋の設備も整ってきてはいるが、
それらは、ここ30年ほどのお話。
それ以前の暮らしを思うと、
身も引き締まるというものだ。
利尻富士町の博物館は、
鬼脇という街にある。
かつての利尻村役場の建物を活用した
「利尻島郷土資料館」である。
建物は、大正2(1913)年に建設された歴史的建造物。
風格のあるたたずまいは、博物館にふさわしい。
ここにも、トドのはく製。
利尻島といえば、トドなのである。
利尻の自然、近代以降、近世、ニシン漁と、
テーマごとに展示されている。
展示の仕方も内容も充実していた。
展示物の量ではなく、
見せ方がうまいのだと感じた。
ここにも、『ニシン番屋』の内部の様子。
『ヤン衆』が生活するスペースに面して、
2段の個別スペースが並んでいた、
というのが一般的なようである。
木で造った百人一首かるた。
何とも文化的ではないか。
ここにも、ジオラマがあり、
ニシン漁がどのように行われていたかを、
紹介していた。
ニシン漁全盛期の鬼脇漁港の写真。
昭和25(1950)年の様子だが、
きわめてインパクトのある風景だ。
ぎっしり、だもんね。
アイヌの人々が使っていた品々の展示。
この模様が、
アイヌ文化を象徴する、
個性的なものだ。
広島県尾道から送られてきた、
酢の大きな徳利が、いくつも展示されていた。
本州ならば、
打ち捨ててしまわれていただろういろいろが残されていて、
それが、暮らしぶりを伝える展示になっている。
この酢徳利なども、そうだろう。
この博物館には、
持ち帰り自由の『利尻の歴史解説シート』が、
内容がわかりやすく、中身も充実していた。
時代ごとに記されていたり、
全島を巡る神社の調査の報告があったりと、
利尻島の歴史がとてもよくわかった。
利尻富士町の博物館が、
町第2の集落、鬼脇にあって、
第1の集落鴛泊にはないのか?
と思っていたら、
利尻島の歴史を伝える施設が、
ちゃんと鴛泊の街にもあった。
こちらがその
「りしりアート・ビジターセンター」。
建物の奥に進むと、歴史の展示がある。
この博物館は、利尻の古代遺跡の展示がメイン。
利尻島には、
縄文期、すでに人が住んで定住していたが、
寒冷地のため、米の栽培が行われず、
弥生時代は訪れなかった。
代わりに、続縄文時代と呼ばれる時代につながり、
さらに、土器の模様から擦文時代となって、
アイヌ文化期へと移行する。
アイヌ期の展示はほとんどなく、
広く、オホーツク文化圏として、
他民族とのつながりが示されている。
利尻島には、熊が住んでいない。
明治時代、
熊が北海道本島から泳いで渡ってきたことがあって、
島民が寄ってたかって退治した。
その時の写真が、
新聞記事と共に、展示されていた。
熊は、島民にとっては、
そのくらい珍しい存在のようだ。
この展示、他の博物館にもあったから、
島の人々にとっては、
よっぽどインパクトのある出来事だったのだろう。
博物館を見つけると、
ついつい入ってしまう。
何しろ、行った先の歴史、文化、習俗を
短時間で知ることができるからね。
目立った史跡がないところでも、
博物館を訪れることで、
その地に隠れた、
歴史に関わる場所を知ることができる。
利尻島には、二つの町に
それぞれ、町立の博物館がある。
最初に訪れたのは「利尻町立博物館」。
仙法志の街から坂を登った、
島を周回する道道沿いにある。
利尻島は、北海道だから、
県道ではなく、
道道というのがおもしろかったり。
←応援ありがとう。
入れば、ニシン漁で使われた船がお出迎え。
昭和23年に建造された『雑平船』という。
ちゃんと建造年がわかっているのが素晴らしい。
昭和30年代にニシンが不漁になり始めてからは、
次第に使われなくなり、
今は、博物館に鎮座しているというわけだ。
館内は、『ニシン漁』に関わる展示が中心。
当時の漁師さんの生活を再現したり、
漁で使われた様々な道具を並べたりしている。
利尻島のニシン漁は、
江戸時代初期に始まり、
明治時代末期から昭和時代始めにかけて、
最盛期を迎えた。
そして、昭和30年代には、
にわかにニシンがとれなくなり、
ニシン漁は終わりを告げる。
この博物館では、
その盛衰の歴史を知ることができる。
ニシン漁は、春ごろ行われた。
その時期にだけ人手が必要で、
20代の若者が、約1000人ほども集まったという。
労働者たちは『ヤン衆』と呼ばれ、
『ニシン番屋』で生活していた。
博物館では、ニシン漁の仕方も、
ジオラマで紹介していて、
これは、わかりやすかった。
『定』とは、ニシン番屋の前にかけてあった板で、
漁で働く人々の名前や約束事が記されていた。

利尻島の自然といえば、
トドとゴマフアザラシである。
博物館の中央には、
見事なはく製が展示されていた。
先史時代、縄文期の発掘も行われ、
それらの展示もある。
間が抜けていて、次の歴史は明治時代、
というのも、
いかにも北海道の北の果ての島だと思う。
この島にはアイヌの人々も暮らしていた。
でも、その暮らしぶりや文化は、
形としては、残っていないということか。
本州から、
最初にこの地に移り住んだ人々の苦労たるや、
いかほどのものであったか。
今でこそ、
道路が広がるなど、インフラが整い、
家屋の設備も整ってきてはいるが、
それらは、ここ30年ほどのお話。
それ以前の暮らしを思うと、
身も引き締まるというものだ。
利尻富士町の博物館は、
鬼脇という街にある。
かつての利尻村役場の建物を活用した
「利尻島郷土資料館」である。
建物は、大正2(1913)年に建設された歴史的建造物。
風格のあるたたずまいは、博物館にふさわしい。
ここにも、トドのはく製。
利尻島といえば、トドなのである。
利尻の自然、近代以降、近世、ニシン漁と、
テーマごとに展示されている。
展示の仕方も内容も充実していた。
展示物の量ではなく、
見せ方がうまいのだと感じた。
ここにも、『ニシン番屋』の内部の様子。
『ヤン衆』が生活するスペースに面して、
2段の個別スペースが並んでいた、
というのが一般的なようである。
木で造った百人一首かるた。
何とも文化的ではないか。
ここにも、ジオラマがあり、
ニシン漁がどのように行われていたかを、
紹介していた。
ニシン漁全盛期の鬼脇漁港の写真。
昭和25(1950)年の様子だが、
きわめてインパクトのある風景だ。
ぎっしり、だもんね。
アイヌの人々が使っていた品々の展示。
この模様が、
アイヌ文化を象徴する、
個性的なものだ。
広島県尾道から送られてきた、
酢の大きな徳利が、いくつも展示されていた。
本州ならば、
打ち捨ててしまわれていただろういろいろが残されていて、
それが、暮らしぶりを伝える展示になっている。
この酢徳利なども、そうだろう。
この博物館には、
持ち帰り自由の『利尻の歴史解説シート』が、
内容がわかりやすく、中身も充実していた。
時代ごとに記されていたり、
全島を巡る神社の調査の報告があったりと、
利尻島の歴史がとてもよくわかった。
利尻富士町の博物館が、
町第2の集落、鬼脇にあって、
第1の集落鴛泊にはないのか?
と思っていたら、
利尻島の歴史を伝える施設が、
ちゃんと鴛泊の街にもあった。
こちらがその
「りしりアート・ビジターセンター」。
建物の奥に進むと、歴史の展示がある。
この博物館は、利尻の古代遺跡の展示がメイン。
利尻島には、
縄文期、すでに人が住んで定住していたが、
寒冷地のため、米の栽培が行われず、
弥生時代は訪れなかった。
代わりに、続縄文時代と呼ばれる時代につながり、
さらに、土器の模様から擦文時代となって、
アイヌ文化期へと移行する。
アイヌ期の展示はほとんどなく、
広く、オホーツク文化圏として、
他民族とのつながりが示されている。
利尻島には、熊が住んでいない。
明治時代、
熊が北海道本島から泳いで渡ってきたことがあって、
島民が寄ってたかって退治した。
その時の写真が、
新聞記事と共に、展示されていた。
熊は、島民にとっては、
そのくらい珍しい存在のようだ。
この展示、他の博物館にもあったから、
島の人々にとっては、
よっぽどインパクトのある出来事だったのだろう。





















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