利尻島沓形(くつがた)の街から
少し高台に上がったところに、
「北見富士神社」がある。
この神社では、御朱印がいただけると聞いた。
こんな最果ての離島の神社に、
御朱印があるとなれば、
それは、訪れなければなるまい(笑)。
←応援ありがとう。
銘を入れた石碑が、堂々と建つ。
背景には、利尻富士。
このロケーションであれば、
「北見富士神社」の名前に負けていない。
堂々たる鳥居が建つ。
「祝120年」の文字が見られる。
創建してから120年ということのようだ。
神社としては新しい。
この辺りに、
人がたくさん住むようになったのは明治時代からだから、
歴史が浅いのも当然のお話。
島の歴史が、
近代から始まることを実感した。
御朱印がほしい人は、
申請書に住所、氏名等を書き込み、
1000円と共に封筒に入れ、
賽銭箱に入れる。
後日、書きこんだ住所に
御朱印が送られてくる。
1000円の金額に、ちょっとおののいたが、
もちろん申し込んだ。
この神社に来ることも、
この先ないかもしれないからね。
ここで、御朱印をいただける神社が、
外に3社あることを知る。
それぞれ、訪れてみるのもよいだろう。
かくして、後日、
「利尻山神社」にお参りに行ってみた。
この神社は、鴛泊(おしどまり)の街の、
これまた高台にある。
第一の鳥居の奥には、
森がつながっている。
「利尻山神社」は、
利尻島のパワースポットと呼ばれているが、
現在地への建立は、明治9年と新しい。
鴛泊は、現在でこそ、島の中心であるが、
その歴史もまた浅いということだろう。
長い参道の途中には、
隣りの公園への入り口もある。
そこを過ぎれば、第二の鳥居。
横には、ちゃんと手水舎もあった。
龍の口から水を出す仕組みだが、
この日は停まっていた。
いつでも出ているわけではないようだ。
なぜか、蛙の置物も控えていたり。
拝殿は、かなり新しめ。
とはいえ、額には昭和28年の文字。
終戦間もない頃であれば、
かれこれ、70年は経っている勘定である。
お参りを済ませて、
御朱印の申請書を出そうと思ったら、
この神社の御朱印を希望する者は、
「北見富士神社」で申請してほしい
と記してある。
何たること?
どうやら、外の3社でお参りしても、
御朱印は、「北見富士神社」での申請となるようだ。
「北見富士神社」の神主さんが、
他の3社の神主を兼任しているらしい。
やむなく、
いつかもう一度「利尻富士神社」を訪問することにして、
(できれば、だけどね)
この日は、お参りだけで済ませることにした。
3つ目の神社は、「北見神社」。
利尻島の南東部の街、鬼脇にある。
利尻島には、
島の東部、利尻富士町に
鴛泊(おしどまり)、鬼脇(おにわき)
という2つの街が、
島の西部、利尻町に
沓形(くつがた)、仙法志(せんぽうし)
という2つの街がある。
御朱印をいただける神社は、
そのそれぞれの街にあるようだ。
「北見神社」は、鬼脇の街のはずれにあるが、
この地を拓いた網島某氏の栄華を
十分に感じさせる敷地を持った神社だった。
大正12(1923)年に小樽新聞社が行った読者投票で、
利尻富士が第1位に輝いたのだとか。
その記念碑も、建立されていた。
手入れもよくされていて、
神社としての格を感じた。
村社となって、
この地に創建したのは大正時代。
新しくできた神社も
それはそれでよいものだ。
ここも、「利尻山神社」と同じく
「北見富士神社」に申請書を出して、
御朱印をいただくことになる。
ところが、
「扉の開け閉めをしてほしい」という
案内はあれど、
御朱印に関する断り書きがない。
なぜ?
最後に訪れたのが「仙法志神社」。
利尻島の南西部の街、仙法志(せんぽうし)にある。
御朱印のいただける4社の中では、
もっとも小さく、
少し寂れた雰囲気だった。
昔ながらの神社らしい作りがいい感じ。
彫刻もまた、素晴らしい。
中は意外と広々しており、
整然と整えられている。
ここもまた、
氏子から大切にされていることが
わかる神社だった。
ただ、ここには、断り書きが一切なく、
御朱印をいただけることなど、
「北見富士神社」に行かなければ
まったくわからなかったり(苦笑)。
かくして、3つの神社を巡り、
再び、「北見富士神社」を訪れて、
御朱印の申請書を賽銭箱に入れた。
後日、自宅に届いた御朱印がこちら。
何ともカラフル
。
そして、堂々たる書であった。
がんばって、訪問した甲斐があった
というものである。
少し高台に上がったところに、
「北見富士神社」がある。
この神社では、御朱印がいただけると聞いた。
こんな最果ての離島の神社に、
御朱印があるとなれば、
それは、訪れなければなるまい(笑)。
←応援ありがとう。
銘を入れた石碑が、堂々と建つ。
背景には、利尻富士。
このロケーションであれば、
「北見富士神社」の名前に負けていない。
堂々たる鳥居が建つ。
「祝120年」の文字が見られる。
創建してから120年ということのようだ。
神社としては新しい。
この辺りに、
人がたくさん住むようになったのは明治時代からだから、
歴史が浅いのも当然のお話。
島の歴史が、
近代から始まることを実感した。
御朱印がほしい人は、
申請書に住所、氏名等を書き込み、
1000円と共に封筒に入れ、
賽銭箱に入れる。
後日、書きこんだ住所に
御朱印が送られてくる。
1000円の金額に、ちょっとおののいたが、
もちろん申し込んだ。
この神社に来ることも、
この先ないかもしれないからね。
ここで、御朱印をいただける神社が、
外に3社あることを知る。
それぞれ、訪れてみるのもよいだろう。
かくして、後日、
「利尻山神社」にお参りに行ってみた。
この神社は、鴛泊(おしどまり)の街の、
これまた高台にある。
第一の鳥居の奥には、
森がつながっている。
「利尻山神社」は、
利尻島のパワースポットと呼ばれているが、
現在地への建立は、明治9年と新しい。
鴛泊は、現在でこそ、島の中心であるが、
その歴史もまた浅いということだろう。
長い参道の途中には、
隣りの公園への入り口もある。
そこを過ぎれば、第二の鳥居。
横には、ちゃんと手水舎もあった。
龍の口から水を出す仕組みだが、
この日は停まっていた。
いつでも出ているわけではないようだ。
なぜか、蛙の置物も控えていたり。
拝殿は、かなり新しめ。
とはいえ、額には昭和28年の文字。
終戦間もない頃であれば、
かれこれ、70年は経っている勘定である。
お参りを済ませて、
御朱印の申請書を出そうと思ったら、
この神社の御朱印を希望する者は、
「北見富士神社」で申請してほしい
と記してある。
何たること?
どうやら、外の3社でお参りしても、
御朱印は、「北見富士神社」での申請となるようだ。
「北見富士神社」の神主さんが、
他の3社の神主を兼任しているらしい。
やむなく、
いつかもう一度「利尻富士神社」を訪問することにして、
(できれば、だけどね)
この日は、お参りだけで済ませることにした。
3つ目の神社は、「北見神社」。
利尻島の南東部の街、鬼脇にある。
利尻島には、
島の東部、利尻富士町に
鴛泊(おしどまり)、鬼脇(おにわき)
という2つの街が、
島の西部、利尻町に
沓形(くつがた)、仙法志(せんぽうし)
という2つの街がある。
御朱印をいただける神社は、
そのそれぞれの街にあるようだ。
「北見神社」は、鬼脇の街のはずれにあるが、
この地を拓いた網島某氏の栄華を
十分に感じさせる敷地を持った神社だった。
大正12(1923)年に小樽新聞社が行った読者投票で、
利尻富士が第1位に輝いたのだとか。
その記念碑も、建立されていた。
手入れもよくされていて、
神社としての格を感じた。
村社となって、
この地に創建したのは大正時代。
新しくできた神社も
それはそれでよいものだ。
ここも、「利尻山神社」と同じく
「北見富士神社」に申請書を出して、
御朱印をいただくことになる。
ところが、
「扉の開け閉めをしてほしい」という
案内はあれど、
御朱印に関する断り書きがない。
なぜ?
最後に訪れたのが「仙法志神社」。
利尻島の南西部の街、仙法志(せんぽうし)にある。
御朱印のいただける4社の中では、
もっとも小さく、
少し寂れた雰囲気だった。
昔ながらの神社らしい作りがいい感じ。
彫刻もまた、素晴らしい。
中は意外と広々しており、
整然と整えられている。
ここもまた、
氏子から大切にされていることが
わかる神社だった。
ただ、ここには、断り書きが一切なく、
御朱印をいただけることなど、
「北見富士神社」に行かなければ
まったくわからなかったり(苦笑)。
かくして、3つの神社を巡り、
再び、「北見富士神社」を訪れて、
御朱印の申請書を賽銭箱に入れた。
後日、自宅に届いた御朱印がこちら。
何ともカラフル
。そして、堂々たる書であった。
がんばって、訪問した甲斐があった
というものである。






























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