それは、徳島の秘境「祖谷のかずら橋」近くで
1か月過ごした日々のお話。
「高知城」の天守でお殿様気分にひたり、
「ひろめ市場」で土佐の味を堪能したわたしは、
高知市内の見どころマップを見ているときに、
「土佐一の宮 土佐神社」というのを見つけた。
市街の北部、
中心街からは少し離れたところにあるらしい。
本殿、拝殿は、
戦国武将、長宗我部元親が築いたというから、
かれこれ400年以上は経つ建築物。
そんな古いものならば、
それは、行ってみるしかあるまい。
こちらが、その拝殿。
白木で築かれたと思われる拝殿は、
かなり水分が抜けて、
枯れた魅力を漂わせている。
長宗我部元親は、
土佐を統一した後、
四国のほぼ全土を支配下に置いた戦国大名。
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」で、
小栗旬=織田信長と対立した、あの人物である。
信長の四国侵攻は、
本能寺の変が起こったため中止となった。
信長の後を引き継いだ秀吉とも対立し、
毛利を巻き来んで、
伊予、讃岐、阿波の覇権を争うが、
最後には、秀吉に降伏し、
土佐一国のみを安堵されることになった。
土佐神社は、
1571(元亀2)年、その元親によって再興された。
その創祀がいつだったかは、定かではないが、
日本書紀に土佐神社の記載があり、
日本最初の法律書である延喜式にも、
すでに名前があることから、
古代にさかのぼると考えられている。
そんな古社にふさわしく、
『手水舎』も立派な造り。
これだけ柄杓があれば、
大勢の参拝者にも対応できるだろう。
『本殿・幣殿・拝殿』は、
上から見ると、トンボのような十字型をしている。
「入蜻蛉」形式と呼ばれ、
戦からの凱旋報告を意味するのだとか。
土佐神社独特の形であることが、おもしろい。
その古さから、
この3棟は、
国の重要文化財に指定されている。
拝殿から本殿を見通す。
朱塗りの本殿は、
状態よく維持されており、
長年にわたって、守られてきたことがわかる。
西御前社の横から、
うしろの『志那祢(しなね)の森』に入る。
森にはたくさんの御神木。
『礫石(つぶていし)』は、森の外れにある自然石。
土佐大神が社地を決めるあたって投げた石、
と伝えられている。
周辺は、蛇紋岩という岩の地層なのに、
この礫石は、珪石なんだとか。
古い時代には、
この石で祭事が行われたらしいんだ。
『輪抜け祓所』には、
杉の切り株が奉ってあるんだ。
本殿西北方の樹齢800年の杉に
倒木の恐れがあったために伐採したのだとか。
その杉の木霊を忍んで
根元部分を奉ったらしい。
作法にのっとって廻ってみた。
輪をくぐることで、
ご神徳があるという。
だから信じて、廻ってみた。
『絵馬堂』には、2体の神像。
楼門の修復工事にあたり、
門内にあった神像2体を、
こちらに鎮座してあった。
普段なら遠くにしか見られない門内の神像を、
間近に見られて、縁起が良い。
『鼓楼』は、
土佐藩第2代藩主山内忠義による造営。
1649(慶安2)年に造られた。
中には、時を知らせる太鼓を吊るす
彫刻や柱が、鮮やかな色で飾られている。
こちらも、国の重要文化財。
古社にもかかわらず、
訪れる人は、さほど多くなかった。
ゆったりと時が流れる、
素敵な神社であった。
それでいて、少数ながら、
ちゃんとインバウンドがいる。
どうやって、
この神社の情報を手に入れたのだろうね。
神社の門前には『百度石』。
お百度参りをしたのであろう人々の、
念のようなものを感じるのは、
わたしだけではあるまい。
1か月過ごした日々のお話。
「高知城」の天守でお殿様気分にひたり、
「ひろめ市場」で土佐の味を堪能したわたしは、
高知市内の見どころマップを見ているときに、
「土佐一の宮 土佐神社」というのを見つけた。
市街の北部、
中心街からは少し離れたところにあるらしい。
本殿、拝殿は、
戦国武将、長宗我部元親が築いたというから、
かれこれ400年以上は経つ建築物。
そんな古いものならば、
それは、行ってみるしかあるまい。
こちらが、その拝殿。
白木で築かれたと思われる拝殿は、
かなり水分が抜けて、
枯れた魅力を漂わせている。
長宗我部元親は、
土佐を統一した後、
四国のほぼ全土を支配下に置いた戦国大名。
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」で、
小栗旬=織田信長と対立した、あの人物である。
信長の四国侵攻は、
本能寺の変が起こったため中止となった。
信長の後を引き継いだ秀吉とも対立し、
毛利を巻き来んで、
伊予、讃岐、阿波の覇権を争うが、
最後には、秀吉に降伏し、
土佐一国のみを安堵されることになった。
土佐神社は、
1571(元亀2)年、その元親によって再興された。
その創祀がいつだったかは、定かではないが、
日本書紀に土佐神社の記載があり、
日本最初の法律書である延喜式にも、
すでに名前があることから、
古代にさかのぼると考えられている。
そんな古社にふさわしく、
『手水舎』も立派な造り。
これだけ柄杓があれば、
大勢の参拝者にも対応できるだろう。
『本殿・幣殿・拝殿』は、
上から見ると、トンボのような十字型をしている。
「入蜻蛉」形式と呼ばれ、
戦からの凱旋報告を意味するのだとか。
土佐神社独特の形であることが、おもしろい。
その古さから、
この3棟は、
国の重要文化財に指定されている。
拝殿から本殿を見通す。
朱塗りの本殿は、
状態よく維持されており、
長年にわたって、守られてきたことがわかる。
西御前社の横から、
うしろの『志那祢(しなね)の森』に入る。
森にはたくさんの御神木。
『礫石(つぶていし)』は、森の外れにある自然石。
土佐大神が社地を決めるあたって投げた石、
と伝えられている。
周辺は、蛇紋岩という岩の地層なのに、
この礫石は、珪石なんだとか。
古い時代には、
この石で祭事が行われたらしいんだ。
『輪抜け祓所』には、
杉の切り株が奉ってあるんだ。
本殿西北方の樹齢800年の杉に
倒木の恐れがあったために伐採したのだとか。
その杉の木霊を忍んで
根元部分を奉ったらしい。
作法にのっとって廻ってみた。
輪をくぐることで、
ご神徳があるという。
だから信じて、廻ってみた。
『絵馬堂』には、2体の神像。
楼門の修復工事にあたり、
門内にあった神像2体を、
こちらに鎮座してあった。
普段なら遠くにしか見られない門内の神像を、
間近に見られて、縁起が良い。
『鼓楼』は、
土佐藩第2代藩主山内忠義による造営。
1649(慶安2)年に造られた。
中には、時を知らせる太鼓を吊るす
彫刻や柱が、鮮やかな色で飾られている。
こちらも、国の重要文化財。
古社にもかかわらず、
訪れる人は、さほど多くなかった。
ゆったりと時が流れる、
素敵な神社であった。
それでいて、少数ながら、
ちゃんとインバウンドがいる。
どうやって、
この神社の情報を手に入れたのだろうね。
神社の門前には『百度石』。
お百度参りをしたのであろう人々の、
念のようなものを感じるのは、
わたしだけではあるまい。























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