それは、徳島の秘境「祖谷のかずら橋」近くで
1か月過ごした日々のお話。
この日は、祖谷の地で、
まだ行ってなかったところを目指してみた。
まずは、「平家屋敷民俗資料館」へ。
壇ノ浦の戦いの際に
命を落としたといわれる安徳天皇の
ご典医を務めた西岡家の住宅である。
昔、京から落ちのびた平家一族が、
祖谷に入山した時に、
共に入山したといわれる。
当時は、堀川姓だったが、
阿波が蜂須賀氏の支配となったときに、
西岡地区の庄屋となり、
西岡姓を名乗るようになった。
←わたしを応援してくださって、ありがとう。
道路から少し上がると、駐車場。
思ったよりも、台数を停められる。
案内表示に従って、受付へ。
入場料を払い、横の坂道を登る。
お屋敷は、
3階分ほど登った先に建っていた。
道の途中の「大もみじ」。
ここは、
秋には、さぞ美しい場所だろう。
門をくぐればお屋敷である。
主屋は、江戸時代末から
明治時代にかけての建築といわれる。
部屋には、壁がなく、
戸を外すと、一室になる。
庭には、キンモクセイの巨木。
これもまた、花を咲かせたなら、
見事に香ることだろう。
堀川家は、京時代に、
安徳天皇のご典医として、
宮中に使えてたという。
祖谷に入山した後は、
山野の豊富な薬草を使い、
住民に医療を施したらしい。
京の都の医療の知識が、
秘境の人々の命を救った。
このことも、
「安徳天皇が祖谷に逃げ込み、
17歳まで生きた」という、
もう一つの平家物語が生まれた
バックグラウンドだろう。
土蔵は、主屋とほぼ同時期に造られた。
屋根瓦は、この時代には珍しく、
火入らずの蔵といわれていたという。
銘も入って、格調高い蔵。
この屋敷には、「民俗資料館」の名の通り、
西岡家で使われていた
家財道具類が展示されている。
(館内撮影禁止だった。)
それもまた、
歴史の一コマであるが、
せっかくならば、
もっと建物の素晴らしさを
前面に出したほうがよいと思う。
祖谷の歴史の重さを伝える、
素晴らしき合掌造りだったのだ。
お屋敷前のちょっとした通路には、
茶の木が一筋植えてあった。
家で1年間使う分は、
自家栽培して調達したのだろう。
1か月過ごした日々のお話。
この日は、祖谷の地で、
まだ行ってなかったところを目指してみた。
まずは、「平家屋敷民俗資料館」へ。
壇ノ浦の戦いの際に
命を落としたといわれる安徳天皇の
ご典医を務めた西岡家の住宅である。
昔、京から落ちのびた平家一族が、
祖谷に入山した時に、
共に入山したといわれる。
当時は、堀川姓だったが、
阿波が蜂須賀氏の支配となったときに、
西岡地区の庄屋となり、
西岡姓を名乗るようになった。
←わたしを応援してくださって、ありがとう。
道路から少し上がると、駐車場。
思ったよりも、台数を停められる。
案内表示に従って、受付へ。
入場料を払い、横の坂道を登る。
お屋敷は、
3階分ほど登った先に建っていた。
道の途中の「大もみじ」。
ここは、
秋には、さぞ美しい場所だろう。
主屋は、江戸時代末から
明治時代にかけての建築といわれる。
部屋には、壁がなく、
戸を外すと、一室になる。
庭には、キンモクセイの巨木。
これもまた、花を咲かせたなら、
見事に香ることだろう。
堀川家は、京時代に、
安徳天皇のご典医として、
宮中に使えてたという。
祖谷に入山した後は、
山野の豊富な薬草を使い、
住民に医療を施したらしい。
京の都の医療の知識が、
秘境の人々の命を救った。
このことも、
「安徳天皇が祖谷に逃げ込み、
17歳まで生きた」という、
もう一つの平家物語が生まれた
バックグラウンドだろう。
土蔵は、主屋とほぼ同時期に造られた。
屋根瓦は、この時代には珍しく、
火入らずの蔵といわれていたという。
銘も入って、格調高い蔵。
この屋敷には、「民俗資料館」の名の通り、
西岡家で使われていた
家財道具類が展示されている。
(館内撮影禁止だった。)
それもまた、
歴史の一コマであるが、
せっかくならば、
もっと建物の素晴らしさを
前面に出したほうがよいと思う。
祖谷の歴史の重さを伝える、
素晴らしき合掌造りだったのだ。
お屋敷前のちょっとした通路には、
茶の木が一筋植えてあった。
家で1年間使う分は、
自家栽培して調達したのだろう。















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