それは、徳島の秘境 奥祖谷を
バスで訪ねてから1週間後のお話。
今回は、同じ場所を、
車に乗って訪れてみることにしたんだ。
おてつたび先のお宿が、
おてつたびなわたしたちに、
お宿の車を貸してくださるというからね。
それというのも、
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている
「落合集落」の魅力は、
対岸の「落合集落展望所」からの風景を見ないと、
伝わらないといわれたから。
たどり着いた場所からの全景がこちら。
「落合集落」を正面から一望できる
まさに絶景スポットだったのだ。
←わたしを応援してくださって、ありがとう。
この展望所にたどり着くには、
幹線道路を外れた山道を15分ばかりも
車で走らなければならない。
とても歩いて行ける道のりではないだろう?
そんな辺鄙といってもよい場所にありながら、
立派に整備された「落合集落展望所」。
常に人が訪れている。
山の南面に、
高低差390mにわたって
道がつづれ織りに連なり、
家々が点在している。
幹線道路からは、
坂また坂を登り継いで、
ようやく家にたどり着く。
そんな感じ。
今は、 トタンに変わっているが、
かつては茅葺だっただろうという屋根がある。
今でも合掌造りの屋根もあるようだ。
江戸建築が随所に残っているらしい。
車が坂を登っていく姿も見えた。
その斜度はかなりのもの。
この高低差で一つの集落というのは・・・。
集まるだけでも並大抵ではないことだろう。
この環境の中で、
コミュニティの一員として生活するのは、
想像もつかない大変さがあるに違いない。
それにしても、こんな眺めは初めてのこと。
いつまで見ていても飽きない感じ。
何もなければ、一日ここで過ごしたかったほど。
いやはや、全くもって素晴らしい。
こんな風に見ていると、
集落の中はどんな風になっているのだろう、と
気になり始めた。
かくして、15分かかって山を下り、
幹線道路を「落合集落」へと向かってみた。
「落合集落」内は、山肌に沿って登り道が続き、
端まで行くと、くるっとUターンして、
また山肌に沿って登る、を繰り返す道が続く。
ターンをするときは、
切り返しが必要なほどの急なヘアピン。
走ってみると、
坂道が容易でないことを思い知る。
最初のつづれ織りを過ぎたところにあるのが、
昭和54(1979)年に再建されたという、
「落合薬師堂」。
お堂の前の案内板に
「室町時代作と見られる本尊薬師如来坐像は焼失した」
という記述があるところから、
室町時代には、
既にこの場所に建っていたと考えられる。
その頃には、
この集落が成立していたということだろう。
何とも、古い歴史である。
茅葺屋根の合掌造りは、「長岡家住宅」。
1735(享保20)年に建てられたとかで、
築290年ほどになる。
山村の暮らしを伝える文化遺産として、
無料公開されている。
人が集ったであろう、囲炉裏の間。
部屋がいくつもあって、
かなり豊かな暮らしぶりだったと思われる。
この地域の中心的役割を果たしたようだ。
山の中腹に建っているとは感じさせない、
間口の広さ。
屋根こそトタンになっているが、
下部は合掌造りそのままの家屋も
いくつもある。
江戸建築をアップデートして生活している。
窓がサッシになっていたりして、
外側を生かしつつ、住みやすく改良されている。
中は、さらに現代風になっているのだろうか。
峠から川へと縦に下る「里道」。
石垣を組み、
ところによっては階段もつけられていた。
今でも、生活道として使われている。
その「里道」を下って、「三所神社」へ。
集落のほぼ中央に位置している。
御神木に囲まれたおごそかな神社であった。
手水舎は比較的新しい。
手水自体は、かなりの年代物。
水道になっているのが現代的だ。
「三所神社」は、昭和6(1931)年、
2つの神社を合祀して、
現在地に建てられた。
この地にあって、
このたたずまい。
渋いね。
神社の脇から、
対岸の「落合集落展望所」方面を見てみた。
向こうの山肌にも、けっこう家々が並んでいる。
車のなかった時代には、
対岸に渡るのも一日仕事だったことだろう。
お互いの生活が遠くに見えていながら、
行き交うことがなかなかない社会で、
どんな思いで、
人々は生活していたのだろうか。
「里道」脇にあった茶畑。
こんな山の斜面の集落で、
昔の人々は、
どのように生計を立てていたのだろう。
この集落には、ゲストハウスもある。
ここで泊まるというのは、
何とも非日常なことだろう。
この風景を見ながら暮らす。
この集落のよさは、
中に入ってこそ感じられるのだ。
バスで訪ねてから1週間後のお話。
今回は、同じ場所を、
車に乗って訪れてみることにしたんだ。
おてつたび先のお宿が、
おてつたびなわたしたちに、
お宿の車を貸してくださるというからね。
それというのも、
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている
「落合集落」の魅力は、
対岸の「落合集落展望所」からの風景を見ないと、
伝わらないといわれたから。
たどり着いた場所からの全景がこちら。
「落合集落」を正面から一望できる
まさに絶景スポットだったのだ。
←わたしを応援してくださって、ありがとう。
この展望所にたどり着くには、
幹線道路を外れた山道を15分ばかりも
車で走らなければならない。
とても歩いて行ける道のりではないだろう?
そんな辺鄙といってもよい場所にありながら、
立派に整備された「落合集落展望所」。
常に人が訪れている。
山の南面に、
高低差390mにわたって
道がつづれ織りに連なり、
家々が点在している。
幹線道路からは、
坂また坂を登り継いで、
ようやく家にたどり着く。
そんな感じ。
今は、 トタンに変わっているが、
かつては茅葺だっただろうという屋根がある。
今でも合掌造りの屋根もあるようだ。
江戸建築が随所に残っているらしい。
車が坂を登っていく姿も見えた。
その斜度はかなりのもの。
この高低差で一つの集落というのは・・・。
集まるだけでも並大抵ではないことだろう。
この環境の中で、
コミュニティの一員として生活するのは、
想像もつかない大変さがあるに違いない。
それにしても、こんな眺めは初めてのこと。
いつまで見ていても飽きない感じ。
何もなければ、一日ここで過ごしたかったほど。
いやはや、全くもって素晴らしい。
こんな風に見ていると、
集落の中はどんな風になっているのだろう、と
気になり始めた。
かくして、15分かかって山を下り、
幹線道路を「落合集落」へと向かってみた。
「落合集落」内は、山肌に沿って登り道が続き、
端まで行くと、くるっとUターンして、
また山肌に沿って登る、を繰り返す道が続く。
ターンをするときは、
切り返しが必要なほどの急なヘアピン。
走ってみると、
坂道が容易でないことを思い知る。
最初のつづれ織りを過ぎたところにあるのが、
昭和54(1979)年に再建されたという、
「落合薬師堂」。
お堂の前の案内板に
「室町時代作と見られる本尊薬師如来坐像は焼失した」
という記述があるところから、
室町時代には、
既にこの場所に建っていたと考えられる。
その頃には、
この集落が成立していたということだろう。
何とも、古い歴史である。
茅葺屋根の合掌造りは、「長岡家住宅」。
1735(享保20)年に建てられたとかで、
築290年ほどになる。
山村の暮らしを伝える文化遺産として、
無料公開されている。
人が集ったであろう、囲炉裏の間。
部屋がいくつもあって、
かなり豊かな暮らしぶりだったと思われる。
この地域の中心的役割を果たしたようだ。
山の中腹に建っているとは感じさせない、
間口の広さ。
屋根こそトタンになっているが、
下部は合掌造りそのままの家屋も
いくつもある。
江戸建築をアップデートして生活している。
窓がサッシになっていたりして、
外側を生かしつつ、住みやすく改良されている。
中は、さらに現代風になっているのだろうか。
峠から川へと縦に下る「里道」。
石垣を組み、
ところによっては階段もつけられていた。
今でも、生活道として使われている。
その「里道」を下って、「三所神社」へ。
集落のほぼ中央に位置している。
御神木に囲まれたおごそかな神社であった。
手水舎は比較的新しい。
手水自体は、かなりの年代物。
水道になっているのが現代的だ。
「三所神社」は、昭和6(1931)年、
2つの神社を合祀して、
現在地に建てられた。
この地にあって、
このたたずまい。
渋いね。
神社の脇から、
対岸の「落合集落展望所」方面を見てみた。
向こうの山肌にも、けっこう家々が並んでいる。
車のなかった時代には、
対岸に渡るのも一日仕事だったことだろう。
お互いの生活が遠くに見えていながら、
行き交うことがなかなかない社会で、
どんな思いで、
人々は生活していたのだろうか。
「里道」脇にあった茶畑。
こんな山の斜面の集落で、
昔の人々は、
どのように生計を立てていたのだろう。
この集落には、ゲストハウスもある。
ここで泊まるというのは、
何とも非日常なことだろう。
この風景を見ながら暮らす。
この集落のよさは、
中に入ってこそ感じられるのだ。






















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