それは、粟津温泉を訪れていた日々のお話。
粟津温泉街を通る路線バスの終点は「那谷寺」。
小松駅を起点に粟津駅前を通り抜けて粟津温泉、那谷寺へと至る路線なんだ。
この日は、そのバスに乗って那谷寺へと出かけてみたよ。
那谷寺は、養老元(717)年、真言宗のお坊さん泰澄法師によって開かれた寺。
泰澄法師は、白山を開山した人物であり、粟津温泉を開いた人物としても知られている。
那谷寺も、粟津温泉と並んで、開帳してから1300年余りというということだ。
中世には、新田義貞の攻撃を受けたり、一向宗(浄土真宗)に改める者が増えたりして衰退した。
しかし、江戸時代には、加賀藩第3代藩主前田利常の保護を受け、お寺は立て直ったという。
歴史ある寺にふさわしく、境内には凛とした空気が立ち込めていた。
金堂華王(けおう)殿は、平成2(1990)年の再建。
南北朝時代に戦火で焼失して以来、650年ぶりに再建された。
築35年を数えるが、1300年の歴史から見れば、新しいといえるだろう。
中には、体長7.8mの大きな十一面千手観音像が安置されている。
壁面は、郷土作家の作品で飾られ、近代的かつ豪華絢爛な雰囲気を漂わせていた。
手水にも趣きがある。
那谷寺で最も特徴的なのが奇岩遊仙境。
そそり立つ奇岩にいくつもの窟が開いていて、その一つ一つに仏様が安置してある。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉もこの地を訪れて、「奥の細道」に句を詠んだ。
曰く、
この風景を見れば、芭蕉の心持ちがよくわかる。
加賀藩第3代藩主、前田利常によって建てられた本殿(大悲閣)
慶長2(1642)年の建築であり、現在は、国の重要文化財に指定されている。
三重塔、護摩堂、鐘楼と、いずれも、前田利常によって建てられた。
どれも高台に建てられている。
もともと少し平らだったところを選んだのだろうが、
大きさを考えると、人の手によって平地を広げた思われる。
人の力の底知れなさを感じるお話だ。
じっくり1時間ほどの歴史の旅だった。
粟津温泉街を通る路線バスの終点は「那谷寺」。
小松駅を起点に粟津駅前を通り抜けて粟津温泉、那谷寺へと至る路線なんだ。
この日は、そのバスに乗って那谷寺へと出かけてみたよ。
那谷寺は、養老元(717)年、真言宗のお坊さん泰澄法師によって開かれた寺。
泰澄法師は、白山を開山した人物であり、粟津温泉を開いた人物としても知られている。
那谷寺も、粟津温泉と並んで、開帳してから1300年余りというということだ。
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中世には、新田義貞の攻撃を受けたり、一向宗(浄土真宗)に改める者が増えたりして衰退した。
しかし、江戸時代には、加賀藩第3代藩主前田利常の保護を受け、お寺は立て直ったという。
凛々しき山門
山門を守る阿吽の像が半立体なのがおもしろかった
歴史ある寺にふさわしく、境内には凛とした空気が立ち込めていた。
深淵なる境内
金堂華王(けおう)殿は、平成2(1990)年の再建。
南北朝時代に戦火で焼失して以来、650年ぶりに再建された。
築35年を数えるが、1300年の歴史から見れば、新しいといえるだろう。
金堂と普門閣
中には、体長7.8mの大きな十一面千手観音像が安置されている。
壁面は、郷土作家の作品で飾られ、近代的かつ豪華絢爛な雰囲気を漂わせていた。
手水にも趣きがある。
那谷寺で最も特徴的なのが奇岩遊仙境。
そそり立つ奇岩にいくつもの窟が開いていて、その一つ一つに仏様が安置してある。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉もこの地を訪れて、「奥の細道」に句を詠んだ。
曰く、
石山の 石より白し 秋の風
この風景を見れば、芭蕉の心持ちがよくわかる。
加賀藩第3代藩主、前田利常によって建てられた本殿(大悲閣)
慶長2(1642)年の建築であり、現在は、国の重要文化財に指定されている。
三重塔、護摩堂、鐘楼と、いずれも、前田利常によって建てられた。
どれも高台に建てられている。
もともと少し平らだったところを選んだのだろうが、
大きさを考えると、人の手によって平地を広げた思われる。
人の力の底知れなさを感じるお話だ。
じっくり1時間ほどの歴史の旅だった。
























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