それは、昨年の秋、
鬼怒川の奥にある湯西川温泉の「おやど 湯の季」で
3週間ばかり働いた後の帰り道のお話。
富山にまっすぐ帰ってくるのも
もったいないと考えたわたしは、
埼玉県にあって、
小江戸と称される街「川越」
に立ち寄ることにした。
←川越のことより富山のこと、って人はこちらをタップしてね。
萩・津和野、角館等々、
小京都と呼ばれる街は、
全国いたるところにある。
奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿と、
宿場の面影を残すエリアも、
数多く現存する。
ところが、江戸風の商家の並ぶ街、
「小江戸」は、さほど多くは存在しない。
唯一、全国的に知られているのが、
「小江戸川越」ということだろうか。
そんな「小江戸川越」とはどんな街なのか、
自分の目で確かめてみたいと、
かねがね思っていた。
町割りは、江戸初期のままだそうである。
明治26(1893)年の大火後に建てられた
「蔵造り」の耐火建築が、軒を連ねる。
建物の造りは、
高岡に残る明治の耐火建築と同じだが、
何といっても、規模が違う。
これだけ集まれば、
そして、東京からも、
程よい時間でたどり着ければ、
一大観光地にも、なろうというものだ。
お土産屋さんや、飲食店、雑貨店など、
ほとんどが商家で、訪れる者を楽しませる。
「りそなコエドテラス」は、元銀行。
元の頭取室が公開されている。
とても重厚な雰囲気だ。
広々としていて、会議スペースもある。
テラスから見る街並みが、また見事だった。
いかにも、江戸の町っぽい。
いくつかの大正建築が残る「大正浪漫夢通り」もある。
「蔵造りの街並み」を抜けた先の
「中央通り」は昭和の街。
昔ながらの、といった言葉が似合う店が並ぶ。
明治、大正、昭和と
3つの時代の街並みを一度に体験できる、
川越という街は、実に面白い。
川越のシンボル「時の鐘」。
今から約400年前、
当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)によって
創建されたといわれる。
もっとも、現在建っているのは4代目。
これもまた、明治の大火の後に再建されたものだ。
今でも、1日4回鐘を鳴らし、
小江戸川越の趣きを感じさせてくれている。
鬼怒川の奥にある湯西川温泉の「おやど 湯の季」で
3週間ばかり働いた後の帰り道のお話。
富山にまっすぐ帰ってくるのも
もったいないと考えたわたしは、
埼玉県にあって、
小江戸と称される街「川越」
に立ち寄ることにした。
←川越のことより富山のこと、って人はこちらをタップしてね。
萩・津和野、角館等々、
小京都と呼ばれる街は、
全国いたるところにある。
奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿と、
宿場の面影を残すエリアも、
数多く現存する。
ところが、江戸風の商家の並ぶ街、
「小江戸」は、さほど多くは存在しない。
唯一、全国的に知られているのが、
「小江戸川越」ということだろうか。
そんな「小江戸川越」とはどんな街なのか、
自分の目で確かめてみたいと、
かねがね思っていた。
町割りは、江戸初期のままだそうである。
明治26(1893)年の大火後に建てられた
「蔵造り」の耐火建築が、軒を連ねる。
建物の造りは、
高岡に残る明治の耐火建築と同じだが、
何といっても、規模が違う。
これだけ集まれば、
そして、東京からも、
程よい時間でたどり着ければ、
一大観光地にも、なろうというものだ。
お土産屋さんや、飲食店、雑貨店など、
ほとんどが商家で、訪れる者を楽しませる。
「りそなコエドテラス」は、元銀行。
元の頭取室が公開されている。
とても重厚な雰囲気だ。
広々としていて、会議スペースもある。
テラスから見る街並みが、また見事だった。
いかにも、江戸の町っぽい。
いくつかの大正建築が残る「大正浪漫夢通り」もある。
「蔵造りの街並み」を抜けた先の
「中央通り」は昭和の街。
昔ながらの、といった言葉が似合う店が並ぶ。
明治、大正、昭和と
3つの時代の街並みを一度に体験できる、
川越という街は、実に面白い。
川越のシンボル「時の鐘」。
今から約400年前、
当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)によって
創建されたといわれる。
もっとも、現在建っているのは4代目。
これもまた、明治の大火の後に再建されたものだ。
今でも、1日4回鐘を鳴らし、
小江戸川越の趣きを感じさせてくれている。













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