みんなは、「あいの風とやま鉄道泊駅」に降りたこと、ある?
この駅、けっこう街中にあるようなんだけど、北に向かって15分も歩けば海辺に出てしまうほど、意外と海が近いんだよね。この日は、気持ちの良い天気だったから、駅から海岸へと歩いてみたんだ。

←富山のことをもっと知りたい人はここをタップするがよい
。
途中の街中には、渋めの料理旅館があったりして、富山とは違った街並み。老舗の「紋左」は、太平洋戦争さなかに起こった「横浜事件」の舞台として知られる、歴史的な料理旅館だよ。その詳細は、お店のWebによれば、以下の通り。
「太平洋戦争たけなわの昭和17年7月5日、国際政治学者・故細川嘉六が同志7人を郷里の富山県泊町(現朝日町泊)に招き、料亭紋左で日本共産党再建を図った、として治安維持法違反で細川らが逮捕された事件である。事件は戦時中の最大の言論、思想弾圧事件の“横浜事件”へと発展。真相は、軍国主義者 東条英機のブレーンが近衛文麿勢力を抑え、東条政権擁護のための特高を使ってデッチ上げた政治的陰謀。細川らは偽の自白を強いられ、過酷な取り調べに耐えた。が、当時、ことがことだけに秘密のうちに取調べが行われ、地元でも知る人は少なく、敗戦後に公になって初めて分かった。また、事件関係者の著書なども発刊されたものの、まだ歴史のなぞが多い中で、官憲の執よう極まりない弾圧にもめげず、架空の事実を認めなかった紋左の女将(おかみ)柚木ひさ(57年2月、93歳で死去)ら地元の人たちの素朴な抵抗や気骨があったことは見逃せない。」
紋左の女将さん、とっても気骨のある人だったんだね。建物は新しくなっているみたいだけど、今でも続いているこのお店には、一度は泊ってみたいと思うんだ。

道路をはさんで東側には、こんな渋めな料理旅館も。「あけぼの」はとっても風格のある建物だったよ。

「あさひ総合病院」の横を抜けてさらに北に進めば、5分弱で海岸線に到着。「富山湾岸サイクリングロード」が折れ曲がって、街中へと向かう三叉路になっていたんだ。ここからは、海沿いに西に向かった歩いてみたよ。

向こうに見えるは、入善町の風力発電機。海の中に3基並んで立っているのが見えたんだ。たゆたうように、プロペラがゆっくり回っているんだよね。なんだかとっても、のどかだなぁ。

こうして、極上の散歩タイムを過ごしたのだった。
この駅、けっこう街中にあるようなんだけど、北に向かって15分も歩けば海辺に出てしまうほど、意外と海が近いんだよね。この日は、気持ちの良い天気だったから、駅から海岸へと歩いてみたんだ。

←富山のことをもっと知りたい人はここをタップするがよい
。途中の街中には、渋めの料理旅館があったりして、富山とは違った街並み。老舗の「紋左」は、太平洋戦争さなかに起こった「横浜事件」の舞台として知られる、歴史的な料理旅館だよ。その詳細は、お店のWebによれば、以下の通り。
「太平洋戦争たけなわの昭和17年7月5日、国際政治学者・故細川嘉六が同志7人を郷里の富山県泊町(現朝日町泊)に招き、料亭紋左で日本共産党再建を図った、として治安維持法違反で細川らが逮捕された事件である。事件は戦時中の最大の言論、思想弾圧事件の“横浜事件”へと発展。真相は、軍国主義者 東条英機のブレーンが近衛文麿勢力を抑え、東条政権擁護のための特高を使ってデッチ上げた政治的陰謀。細川らは偽の自白を強いられ、過酷な取り調べに耐えた。が、当時、ことがことだけに秘密のうちに取調べが行われ、地元でも知る人は少なく、敗戦後に公になって初めて分かった。また、事件関係者の著書なども発刊されたものの、まだ歴史のなぞが多い中で、官憲の執よう極まりない弾圧にもめげず、架空の事実を認めなかった紋左の女将(おかみ)柚木ひさ(57年2月、93歳で死去)ら地元の人たちの素朴な抵抗や気骨があったことは見逃せない。」
紋左の女将さん、とっても気骨のある人だったんだね。建物は新しくなっているみたいだけど、今でも続いているこのお店には、一度は泊ってみたいと思うんだ。

道路をはさんで東側には、こんな渋めな料理旅館も。「あけぼの」はとっても風格のある建物だったよ。

「あさひ総合病院」の横を抜けてさらに北に進めば、5分弱で海岸線に到着。「富山湾岸サイクリングロード」が折れ曲がって、街中へと向かう三叉路になっていたんだ。ここからは、海沿いに西に向かった歩いてみたよ。

向こうに見えるは、入善町の風力発電機。海の中に3基並んで立っているのが見えたんだ。たゆたうように、プロペラがゆっくり回っているんだよね。なんだかとっても、のどかだなぁ。

こうして、極上の散歩タイムを過ごしたのだった。
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