有沢線からいたち川沿いのローソン大泉店横の道をさかのぼっていくと、富山地鉄上滝線踏切の少し手前に、石の道しるべがあるんだ。この空き地には、かつて酒屋さんがあって、ボクが子どもの頃にはまだ営業していたんだけど、平成のいつしかに廃業して建物はなくなったんだよね。
この道しるべは、酒屋さんの前にずっとあって、ボク的には酒屋さんが管理してるものだと思ってたけど、こうして今でも残っているところを見ると、そうでもないのかも。

←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね
。
近くに寄って掘られている文字を読んでみると・・・。「天保十一年四月十四日」とあったよ。西暦でいうと1840年というから、今からおよそ200年ほど昔の江戸時代。

横を見れば、「尾州名古屋 杉〇佐助」の文字。〇は「原」なのか「屋」なのかよくわからないけど、きっとこの道しるべを置いた人の名前だと思うんだ。立山修験に訪れた名古屋の人が、立山に向かう登山道に迷わず行けるよう設置したんだろうね。

ここには、分かれ道があって右に向かうと、立山に続いていたみたいだよ。ひょっとしたらこの分岐点には茶店とかがあって、その茶店がその後、酒屋を営んでいた、などという歴史もあるのかも。
この道しるべができた頃は、この辺りは、田んぼが広がるばかりだっただろうと思うんだ。人々はみな和服で、男性は丁髷(ちょんまげ)、女性は丸髷(まるまげ)の姿で歩き回っていたのは間違いがない。同じ場所を巡って、今と違ったそんな風景が広がっていたことを思うと、歴史の変化というのは、何だかとってもおもしろいと思うんだよね。

この道しるべは、酒屋さんの前にずっとあって、ボク的には酒屋さんが管理してるものだと思ってたけど、こうして今でも残っているところを見ると、そうでもないのかも。

←ここへ行けば富山にくわしくなれるよね
。近くに寄って掘られている文字を読んでみると・・・。「天保十一年四月十四日」とあったよ。西暦でいうと1840年というから、今からおよそ200年ほど昔の江戸時代。

横を見れば、「尾州名古屋 杉〇佐助」の文字。〇は「原」なのか「屋」なのかよくわからないけど、きっとこの道しるべを置いた人の名前だと思うんだ。立山修験に訪れた名古屋の人が、立山に向かう登山道に迷わず行けるよう設置したんだろうね。

ここには、分かれ道があって右に向かうと、立山に続いていたみたいだよ。ひょっとしたらこの分岐点には茶店とかがあって、その茶店がその後、酒屋を営んでいた、などという歴史もあるのかも。
この道しるべができた頃は、この辺りは、田んぼが広がるばかりだっただろうと思うんだ。人々はみな和服で、男性は丁髷(ちょんまげ)、女性は丸髷(まるまげ)の姿で歩き回っていたのは間違いがない。同じ場所を巡って、今と違ったそんな風景が広がっていたことを思うと、歴史の変化というのは、何だかとってもおもしろいと思うんだよね。

コメント
コメント一覧 (2)
ほほう、それは気づかなかったな。
今度見に行ってみるよ。
教えてくれて、ありがとね。