草島東線の荒川高架橋を南から車で走ってくると、左手下の方に、なにやら石碑がいくつも並んで見えるんだ。以前から、何が建っているのか気になっていたんだけど、車で走っていると、直に見る機会はなかなかないよね。
この日は、高架橋を歩いて越え、富山地鉄新庄田中駅へと向かう途中に、この石碑群の横を通りかかったよ。これは、何ものか確かめねばなるまい。
広場に入って正面の石碑には「広田補給水路新築記念碑」、右には「広田用水幹線水路改修記念碑」、左は「熊野川○○(読めない
)彰飯倉平兵衛翁記念碑」、といった文字が読めるよね。どうやら、広田用水にまつわる様々な記念碑を集めた広場みたい。

←富山のいろいろを知りたい人は、ここを見てね〜
。
おお、確かに入り口には「広田用水記念公園」の文字。
広田用水というのは、奥田から豊田界隈の田畑を潤すために、江戸時代につくられた用水。はじめは、常願寺川から取水してたらしいけど、江戸時代末に起こった安政の大地震で用水の取水口が軒並みダメになって、後に、土川、熊野川から取水するようになったんだって。

こちらが、飯倉平兵衛さんの胸像。飯倉さんは、富山県議会議長を務めた人のようだけど、広田用水の改修に力を尽くした、ってことかな。

こちらは、安政の大地震の時に、洪水の犠牲となった、広田用水の工事関係者の慰霊碑のようだよ。

こちらは、「四十万小七郎」なる人物の碑。これだけの石碑を築かれる人だから、きっと広田用水に大きな足跡を残した人なんだろうけれど、どんな人物かはネットにもなく。

記念公園の後ろから下をのぞくと、今でも滔々とした流れをたたえる広田用水が見えるんだ。

一番新しい石碑がこちら。表には、「永遠なる水の恵み」と堂々とした文字が見えるね。書いた人は、当時、通商産業省の政務次官だった富山県出身参議院議員の鹿熊安正氏。

広田用水には、一時期生活用水がかなり入り込んで、かなり汚れた状態になってしまったんだって。用水を暗渠化して、汚れた生活用水が入らないように対策を施した工事の完成記念碑のようだよ。昭和49年に始まった工事は、平成5年にようやく完工したと記してあるよ。足かけ20年にもわたる大工事だったんだね。

これだけの石碑を集めた公園は、他には全く知らないよね。広田用水にかけた人々の思いの大きさが伝わってきたよ。
かくして、「広田用水記念公園」を後にしたボクは、一路、「富山地鉄新庄田中駅」へと向かったんだ。

線路わきに幅の狭いホームだけあつらえた風の、地鉄本線の中では、一番新しい駅だよ。「稲荷町」と「東新庄」の間には以前は一駅もなかったけど、確かに、間が空きすぎてる感じだったもんねぇ、

この日は、ここから電車に乗って、富山駅へと向かったのだった。
この日は、高架橋を歩いて越え、富山地鉄新庄田中駅へと向かう途中に、この石碑群の横を通りかかったよ。これは、何ものか確かめねばなるまい。
広場に入って正面の石碑には「広田補給水路新築記念碑」、右には「広田用水幹線水路改修記念碑」、左は「熊野川○○(読めない
)彰飯倉平兵衛翁記念碑」、といった文字が読めるよね。どうやら、広田用水にまつわる様々な記念碑を集めた広場みたい。
←富山のいろいろを知りたい人は、ここを見てね〜
。おお、確かに入り口には「広田用水記念公園」の文字。
広田用水というのは、奥田から豊田界隈の田畑を潤すために、江戸時代につくられた用水。はじめは、常願寺川から取水してたらしいけど、江戸時代末に起こった安政の大地震で用水の取水口が軒並みダメになって、後に、土川、熊野川から取水するようになったんだって。

こちらが、飯倉平兵衛さんの胸像。飯倉さんは、富山県議会議長を務めた人のようだけど、広田用水の改修に力を尽くした、ってことかな。

こちらは、安政の大地震の時に、洪水の犠牲となった、広田用水の工事関係者の慰霊碑のようだよ。

こちらは、「四十万小七郎」なる人物の碑。これだけの石碑を築かれる人だから、きっと広田用水に大きな足跡を残した人なんだろうけれど、どんな人物かはネットにもなく。

記念公園の後ろから下をのぞくと、今でも滔々とした流れをたたえる広田用水が見えるんだ。

一番新しい石碑がこちら。表には、「永遠なる水の恵み」と堂々とした文字が見えるね。書いた人は、当時、通商産業省の政務次官だった富山県出身参議院議員の鹿熊安正氏。

広田用水には、一時期生活用水がかなり入り込んで、かなり汚れた状態になってしまったんだって。用水を暗渠化して、汚れた生活用水が入らないように対策を施した工事の完成記念碑のようだよ。昭和49年に始まった工事は、平成5年にようやく完工したと記してあるよ。足かけ20年にもわたる大工事だったんだね。

これだけの石碑を集めた公園は、他には全く知らないよね。広田用水にかけた人々の思いの大きさが伝わってきたよ。
かくして、「広田用水記念公園」を後にしたボクは、一路、「富山地鉄新庄田中駅」へと向かったんだ。

線路わきに幅の狭いホームだけあつらえた風の、地鉄本線の中では、一番新しい駅だよ。「稲荷町」と「東新庄」の間には以前は一駅もなかったけど、確かに、間が空きすぎてる感じだったもんねぇ、

この日は、ここから電車に乗って、富山駅へと向かったのだった。
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