今から100年ほども昔の1918(大正7)年7月、魚津で漁師のおかみさんたちが米商人の蔵に押しかけたことから始まった米騒動。その舞台になった米蔵が、今でも残っているというから、見に行ってみたんだ。

 こちらが、その米蔵。大正3年に建てられたという、旧十二銀行の米蔵だよ。築100年を超えているのに、こんなにしっかりして見えるのは、ちゃんと修繕が施されているから。

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 当時、漁師さんは、一升のご飯が入る弁当箱をもって漁に出ていたのだとか。

 ところが、米の価格が何倍にも高騰して、とてもとても手が出せなくなったおかみさんたちが、米の値段を下げるよう、市役所にかけあったんだけど、まぁ、それで値段が下がったりはしないよね。やむなく、北海道に米を出荷しようとしていた米商人に、それを差し止めるよう店先に押し寄せたのが、米騒動の始まり。

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 当時、日本は、第一次大戦の戦勝国とともにシベリアに出兵して、ソビエトの赤軍と戦っていたんだ。米は、シベリアに送られることもあって、高騰したというから、当時の国際情勢と米の価格には、密接なつながりがあったんだね。

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 シベリア出兵は、3年も続いたというから、歴とした戦争だったんだと思うけど、歴史には、出兵と表現されているんだ。というのも、軍の中にさえ「まれにみる失政」という声がある見事な失敗だったから。当時の政府としては、なかったことにしたかったのかもしれないね。

 もっとも、こういう失敗をちゃんと受け止めて、何が原因で失敗したのか、どうしたらよかったのかを分析していたなら、後の大戦の悲劇も生まれなかったかもしれないんだけれど。

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 そんなこんなの歴史を思い浮かべながら、見て回ったのだった。まぁ、こんな看板もあるから、外から眺めただけなんだけど。

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 魚津市の“西の端“の海沿いの道を走ると、こんな看板が見えてるくるよ。

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 この浜に、おかみさんたちが集まったのだろうか。

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