魚津といえば、大正時代の歴史的出来事「米騒動」発祥の地として知られているよね。
大正7年、米の価格がにわかに高騰したことに困った、この界隈の家を守るお母さんたちが、米が高くなるのは、県外に米を積み出すからだと考えて、米商人に出荷をやめるよう迫ったのがきっかけで起こった、といったところであってるかな。
写真の場所は、「道の駅 蜃気楼」から海沿いを西に3分ほど走ったところにある公園。横に駐車場があったから降りてみたら、こんなモニュメントが置いてあったんだ。

←富山を元気にするブログがいっぱいあるから、見てね。
公園の名前は「大町海岸公園」というみたいだね。この辺りが、米騒動発祥の地であることから、米俵をかたどったモニュメントを設置したみたい。
近頃の研究では、魚津で騒動が発生した日(米商人宅に押しかけたのは夜)の日中には富山市の住人が市役所に押しかけてたり、それより2週間ほど前から水橋の住民が、米の積み出し停止を米商人に要求してたりしてた、っていう文献も発見されているんだ。一方では、米商人宅に押しかけた2日前には、『女房ども46人が魚津市役所に押し寄せた』という新聞記事も見つかっていて、7月下旬には、この界隈は米の価格を巡って騒然としていたことがうかがわれるよ。
まぁ、いずれにせよ、富山で起こった騒動が新聞を通して全国に伝わり、その騒動が日本中に広がった、というところには、間違いなさそうだけどね。

この「大町海岸公園」がある辺りは、蜃気楼がよく見える場所でもあるみたいだね。「魚津浦の蜃気楼」が国登録記念物になっているもよう。

公園のすぐ西側には、広い道路がはしっていて、その向こうには、広々と海が広がっているんだ。ここなら、蜃気楼をしっかり眺められそう。

芝の広々とした、気持ちの良い公園だったよ。

公園の一角には、「うおづ散歩」っていう観光案内マップがあったよ。

米騒動のあらましや、

米騒動が起こった原因なんかが書いてあったんだ。

そして、マップによれば、米騒動でお母さん方が押し掛けた米蔵が、近くに今でも残っているらしい。これは行ってみなければと、彼の地まで歩いてみたんだけど、それはまた別の話。
大正7年、米の価格がにわかに高騰したことに困った、この界隈の家を守るお母さんたちが、米が高くなるのは、県外に米を積み出すからだと考えて、米商人に出荷をやめるよう迫ったのがきっかけで起こった、といったところであってるかな。
写真の場所は、「道の駅 蜃気楼」から海沿いを西に3分ほど走ったところにある公園。横に駐車場があったから降りてみたら、こんなモニュメントが置いてあったんだ。

←富山を元気にするブログがいっぱいあるから、見てね。
公園の名前は「大町海岸公園」というみたいだね。この辺りが、米騒動発祥の地であることから、米俵をかたどったモニュメントを設置したみたい。
近頃の研究では、魚津で騒動が発生した日(米商人宅に押しかけたのは夜)の日中には富山市の住人が市役所に押しかけてたり、それより2週間ほど前から水橋の住民が、米の積み出し停止を米商人に要求してたりしてた、っていう文献も発見されているんだ。一方では、米商人宅に押しかけた2日前には、『女房ども46人が魚津市役所に押し寄せた』という新聞記事も見つかっていて、7月下旬には、この界隈は米の価格を巡って騒然としていたことがうかがわれるよ。
まぁ、いずれにせよ、富山で起こった騒動が新聞を通して全国に伝わり、その騒動が日本中に広がった、というところには、間違いなさそうだけどね。

この「大町海岸公園」がある辺りは、蜃気楼がよく見える場所でもあるみたいだね。「魚津浦の蜃気楼」が国登録記念物になっているもよう。

公園のすぐ西側には、広い道路がはしっていて、その向こうには、広々と海が広がっているんだ。ここなら、蜃気楼をしっかり眺められそう。

芝の広々とした、気持ちの良い公園だったよ。

公園の一角には、「うおづ散歩」っていう観光案内マップがあったよ。

米騒動のあらましや、

米騒動が起こった原因なんかが書いてあったんだ。

そして、マップによれば、米騒動でお母さん方が押し掛けた米蔵が、近くに今でも残っているらしい。これは行ってみなければと、彼の地まで歩いてみたんだけど、それはまた別の話。
コメント
コメント一覧 (2)
魚津市民にとっては、海は西にあるのがあたりまえってこと?
目から鱗であります〜。
富山市民は海は北にあると、刷り込まれているようだね。
魚津では海は西にあるんだよ。
だから、広い道路は北ではなく西側だよ。