泊からの帰り道、あいの風とやま鉄道に乗っていて、このまま富山まで乗って帰るのもつまらないと思ったんだ。そういえば、この間、滑川を車で通ったとき、海沿いになんだか素敵なスポットがあったことを思い出したよ。これはもう、途中下車するしかあるまい。

 滑川の海沿いの道路わきには、明治や大正、昭和の始めごろの建築が今でも残っているみたいなんだ。

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 かくして、滑川駅を降り立ったよ。

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 あいの風とやま鉄道滑川駅からショッピングセンター「エール」を通り抜けて、海の方に向かったんだ。

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 すると、こんな案内板を発見。「なめりかわ宿場回廊」は、あるけば2時間余りの道のり。けっこう巡るところがありそうだよね。

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 「エール」の横には、かなり広々とした緑豊かな公園があるけど、この公園がすでにスポットの模様。

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 この界隈は、かつて「吾妻町」と呼ばれていたんだね。そして、この地には、加賀藩の東の御蔵があったのだとか。富山県は、江戸時代には、そのほとんどが加賀百万石の領地だったんだけど、このあたりで収穫された年貢米が、この場所に集められていたみたい。

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 散歩するように、なめりかわ宿場回廊への道を歩いていけば、気になる風景に出会うんだ。例えば、この写真。駐車場のフェンスなんだけど、『干しもの固くお断り』って何〜?(笑)。昔は、フェンスで物干しした人がいたんだね。

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 かくしてたどり着いたのは「櫟原神社」。この字を書いて「いちはら」と読むんだね。かなり広大な敷地を持つこの神社は、創祀が701年と伝えられる、由緒正しき神社。

 戦国時代には、上杉景勝から治安の維持を保証されたとかで、その証明書たる『制札』が神社に収められて滑川市指定文化財になってるんだって。

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 滑川市のオフィシャルサイトによれば、

「この制札は天正10 年(1582)6 月に上杉景勝が櫟原神社に対して与えたもので、治安維持を保障した内容である。
 天正10 年頃の越中は、織田家と上杉家の激しい攻防の最中にあり、6 月3 日には上杉軍の籠城する魚津城が織田軍の攻撃により落城した。しかし前日の2 日に本能寺の変が起きていたことで織田軍は撤退を余儀なくされ、上杉軍が魚津城を奪還した。この制札は魚津城奪還後に発給されたものと見られる。
 織田勢の佐々成政は富山城に帰陣しているため、滑川は上杉軍の最前線に非常に近い場所だったと考えられる。」

のだそうだよ。

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 滑川には、江戸時代の俳聖、松尾芭蕉が「奥の細道」に描いた旅の途中に、彼の地に泊ったという話が残っているよ。

 「奥の細道」って、東北の旅のイメージが強いけど、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」っていう有名な俳句を山形立石寺で読んだ後は、日本海側へ出て、越後、越中、加賀、越前、近江を通って、美濃大垣まで行ってるんだ。

 この神社にも、芭蕉の句碑に「しばらくは花のうへなる月夜かな」っていう句が残されていたよ。芭蕉は、彼の地の人々にも愛されていたんだね。

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 櫟原神社を抜けると、そこには海原が広がっていたよ。うーん、気持ちいい。

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 こんな路地が残っているのも、昔からある土地柄らしいよね。戦災にあった富山市では、決して見られない細い路地。

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 かくして、回廊の散歩は続くのだけど、それはまた別の話。